『大日本史料』 10編 18 天正元年9月~同年11月 p.214

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て、義冬ノ居所の近邊屋作りして置、朝夕ノ膳部等も此田宮方より調けり、然ヱ, 義助・義任其外家來ノ者迄おさへ置、一人も指越さるにより、諸事の調もならさり, 馬ノ飼料として、平嶋拾壹ケ村并山部長山ノ内ヱて吉井・楠根・長山三ケ村都合十, 四ケ所、此高三千貫分給り、天文ノはしめより同廿四年ノ春まで義冬令領知也、, 一、義冬公天文廿四年ノ夏周防國へ下り、彼地とて大内助ヱはこくまれ、永祿六年ノ, 一、義冬公永祿六年の秋周防ノ國ゟ當國へ令歸著ける時、三好日向守はからいとして、, 一、義冬阿波國へはしめて下り給ふとき、まへにしるすことく、細川讚岐守持隆より, 田宮は義冬義ヲたつとみて、ぜんぶに下々のいきなどかゝらざるやうヱとて、きう, る義、日向守と内談ヱて有けるとて殊外腹立して、義冬内室ノ義は云ヱおよばす、, けるゆへ、日向守方ゟまかないの代官として、田宮右衞門佐と云者家すじ能侍成と, じ人そのほかぜんふまかないの者ニ、ふくめんをかけさせてとゝのへさせけると也、, 同長春方より領知如前々宛行いけり、然共周防國大内助は、義冬・義親阿波國へ歸, 當國ノ大守達拙家ヲ憐給事, 天正元年十月八日, 秋まで周防國ニ、, 二ケ村, 平嶋十一箇, 佐ノ奉公, 村及ビ山部, 平嶋ニ歸ル, 領地, 周防ニ赴ク, 田宮右衞門, 二一四

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  • 二ケ村
  • 平嶋十一箇
  • 佐ノ奉公
  • 村及ビ山部
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  • 領地
  • 周防ニ赴ク
  • 田宮右衞門

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  • 二一四

注記 (24)

  • 422,733,69,2109て、義冬ノ居所の近邊屋作りして置、朝夕ノ膳部等も此田宮方より調けり、然ヱ
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