『大日本史料』 10編 23 天正2年6月~7月 p.130

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て同心しかたし、他家の儀はいかなりや、又或書, 筑後守殿選述ヱて、諸家の譜共2博く參考有之たるかにも候得共、たゝちに其, を繼せたり、此故に氏を細川と改、其後藤孝勝龍寺の合戰に軍功有ヱより、長, は公方の御子なりしを三淵大和守養ふて、佐々木か一族長岡の家つかせけれ, 和田の城主細川右馬頭元常子なし、幸ニ二三淵ニ縁有ニよつて、藤孝を養ふて家, な藤孝の兄なり、伊賀守か嫡子大和守と幽齋は同腹の兄弟なるか、其比泉州岸, 住し給ひし時に寵せられて懷妊し設けさせ給ふ、後に妾を三淵に賜ふ時、藤孝, は、いかなる心得違か、又藩翰譜之内細川譜に云、世につたふる所は、藤孝實, も共に行て繼子となる、將軍義輝公・二男鹿園院周嵩・三男一乘院門跡覺慶〻ミ, 家々ニ問明し、實を糺されたるにては無之と見へ、御當家の事も相連の〻に, は、長岡兵部太輔と申、室町殿に咫尺し奉公の勞をつミしかは、細川の管領家, 號をゆつりて細川とあらため名のるといふと云々、夥敷相違也、藩翰譜は荒井, 藤孝は將軍義, 晴公の四男、母は還翠卒軒宣賢の女にて、飯河妙佐姉也、義晴公東山鹿ケ谷に移, 岡の庄を信長公より給わりし故ニ、玄旨の嫡子越中守忠興、氏を長岡と改ると, 備考も大〓同之, 東國太平記・關原, 細川藤孝ハ, ハ舟橋宣賢, 女トノ説, 義晴四男母, 天正二年七月六日, 一三〇

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  • 備考も大〓同之
  • 東國太平記・關原

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  • 細川藤孝ハ
  • ハ舟橋宣賢
  • 女トノ説
  • 義晴四男母

  • 天正二年七月六日

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  • 一三〇

注記 (23)

  • 1093,835,56,1215て同心しかたし、他家の儀はいかなりや、又或書
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