『大日本史料』 10編 25 天正2年10月~同年是歳 p.209

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三郎右衞門尉、生國遠江、法名淨珍、, に、繋定河井を討捕、このゆへに親族ならひに諸士、たかひ死するものおほし、敵兵, 傳馬に乘して濱松におもむくときに、今度かうふるところの疵よろしく療治をくはふ, をいて、夜にいりて繁定を襲、こゝにをひて繁定か親族等刀をましへ相たゝかふとき, ト、便宜左二合敍ス、, 天正二年十二月二十七日、信玄か士河井助九郎・向坂甚大夫案内者となり、二俣の城, もまた命をおとすものあまたなり、大權現此事をきこしめし繋定をめさる、すなはち, 〔譜牒餘録後編〕, 極月廿七日、勝頼方之手引仕候川井助九郎・向坂甚大夫と申者案内者ニ而、二俣城ゟ, 一、先祖數代遠州豐田郡加茂村ニ居住仕、駿州今川之旗下こ而罷在候、, へきとの嚴命をうけたまはる、, 〔寛永諸家系圖傳〕, 曾祖父平野三郎右衞門繁定御奉公申上候覺, 平野繋定, 年, 天正二, 二十五御勘定方, 平野三郎右衞門, ○中, 略, 九, 百十, 繋定武田方, ノ河井助九, 七日二襲撃, 郎ヲ討取リ, 自ラモ疵ヲ, 被ル, 十二月二十, サル, 天正一、, 天正二年閏十一月十一日, 二〇九

割注

  • 二十五御勘定方
  • 平野三郎右衞門
  • ○中
  • 百十

頭注

  • 繋定武田方
  • ノ河井助九
  • 七日二襲撃
  • 郎ヲ討取リ
  • 自ラモ疵ヲ
  • 被ル
  • 十二月二十
  • サル
  • 天正一、

  • 天正二年閏十一月十一日

ノンブル

  • 二〇九

注記 (33)

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