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つらむことをこふ、衆み發光秀か與黨ならむかと、うたがひてこれをとゞ, む、忠勝いふやう、我勢寡うして、危難の間にあり、素より彼に敵しがたし、彼, とき扈從し、六月二日、織田右府ことあるのよし告來るにより、和泉國を歸, たまふ了いとり、多羅尾四郎右衞門光俊、人をしてわか家にむか〓たてま, らは行も死し、行ざるも死す、行ずして死せむより、ゆきて死するにしかじ, 御のとき、其路次にして、一揆蜂起すといへども、長谷川竹秀一等と計策を, もし二心あらむには、たとへ行ずとも、かならす兵を出して我をうたむ、さ, と、衆みな此言を然りとして、遂に御馬を多羅尾か家によせらお、是より伊, ひたてまつる、(, 出はしめ、漸木津川にいたりたまふ、すでにして近江國信樂におもむかせ, ぬがるゝもの、ひとへに忠勝か力なりとて、厚く其勳勞を賞譽せらる、, 賀路をこ〓はせたまひ、ゆへなく岡崎城に入御あり、此間の危難萬死をま, 〔寛政重修諸家譜〕, 十年六月、明智光秀謀叛し、織田右, 府事あるにより、和泉國堺より伊賀路を經て、濱松に歸御のときも、したが, 井伊直政, 十年五月、東照宮京都御遊覽の, [寛政重修諸家譜〕百榊原康政, 下略, ○上, 太, 小平, 下略, 兵部, 七百, ○上, 六十, 少輔、, 略, 渡リ信樂, 多羅尾光, 俊家康ヲ, 榊原康政, ニ赴ク, 木津川ヲ, 井伊直政, 迎フ, 天正十年六月四日, 一二三
割注
- 下略
- ○上
- 太
- 小平
- 兵部
- 七百
- 六十
- 少輔、
- 略
頭注
- 渡リ信樂
- 多羅尾光
- 俊家康ヲ
- 榊原康政
- ニ赴ク
- 木津川ヲ
- 井伊直政
- 迎フ
柱
- 天正十年六月四日
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- 一二三
注記 (39)
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