『大日本史料』 11編 1 天正10年6月 p.411

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池田、如此合戰之次第定にけり、, たかふ其理有か、はや何となう秀吉物かしらに見えしなり、, も入す、池田思ふやう、扨ら高山も惟任に與せしよな、不及力所なりと云つ, ゝ川に付て細道あり、これよ初山崎乃東惣搆の外を廻て、惟任か勢にむか, 三日刀の刻、池田父子山崎に至て見れは、南の門をうつて、池田か勢を一人, 合戰之上、可决勝負之旨云なわしかは、望所之幸尤にこそとの返事有ぬ、十, 筑前守に寄合軍評議有しは、秀吉人數かさなる故か、又自然に大器にし, 崎表、前後一同に相揃ひ候やうにとの相圖なり、惟任かたへも、明日十三日, 〻西宮小清水邊をそ急きける、其夜は遠近宿陣し侍りて、十三日には、於山, 人なり、三七殿は御連子と云、何れも尼崎へ寄合給はん義に非す、然るに, かくて十二日、先勢山崎、天神之馬場、芥川邊に充滿せしかは、後陣はゑう〻, 處に、秀吉仰けるは、信長公より、かやうの時は、多く其次第をおつて被仰付, 尉、三番池田殿にて有へきか、次第を越給はん事、迷惑なる由つよく申ける, し也、今以其通しかるへからんと申されけれは、即一番高山、二〓中川、三番, 評曰、信長公の御時は、池田は公と乳兄弟と云、武勇の佳名と云、威勢有し, ノ遺法ニ, 番高山, 三番池田, 第ハ信長, 據ル, 一番中川, 先陣ノ次, 天正十年六月十二日, 四一一

頭注

  • ノ遺法ニ
  • 番高山
  • 三番池田
  • 第ハ信長
  • 據ル
  • 一番中川
  • 先陣ノ次

  • 天正十年六月十二日

ノンブル

  • 四一一

注記 (24)

  • 1563,626,58,930池田、如此合戰之次第定にけり、
  • 1096,702,62,1785たかふ其理有か、はや何となう秀吉物かしらに見えしなり、
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