『大日本史料』 11編 1 天正10年6月 p.789

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りを被仰付可被下候、はや〳〵年もより申候間、別ニ望みも無御座候、城, す、はてまた其次ニ國大名衆御禮の目録別紙ニ一卷出來に、國大名衆二, 日めニ御禮相定候事、, 之介樣へ御奉公仕候と心ニ取置申候、此吉法樣を信忠樣と奉存、隨分御, は、被成御存候間不能申上ニ候、別の訴訟にては無御座候、吉法樣の御も, 一さらは御禮之次第目録を作よと、先御一家衆御禮の目録卷物一卷出來, り日柄を見よとて、其役の者ニ被申渡候、稍有て談合おはり候日より四, 意にて柴田に被遣候、此ゆい所故、三七殿を柴田引被申候、筑前守殿は城, 一左候はゝ、吉日をゑらひ吉法樣へ之御禮可相定と勝家被申出候、遂れよ, ふきのあらをひと承候事、, 之介樣ニれんほ故、をのちなみを以、吉法師樣を取たて申度との互のす, 聞分被成候は可忝候、各内々如御存、信忠樣別而被懸御目子細御座候儀, おゐては柴田修理殿、次ニは瀧川左近殿、丹羽五郎左衞門殿、扨羽柴筑前, 守を目録ニ書付申よと、秀吉御見及被成候て、勝家各樣へ訴訟御座候、御, も被成候上は、御兄弟ニ被成候而も不苦候と被仰上候時、信長殿尤と御, 長政ノ後, 家織田氏, ノ守役ヲ, 嫁セシム, 秀吉秀信, 望ムトノ, ヲ勝家ニ, 依リ淺井, トノ説, 説, 天正十年六月二十七日, 七八九

頭注

  • 長政ノ後
  • 家織田氏
  • ノ守役ヲ
  • 嫁セシム
  • 秀吉秀信
  • 望ムトノ
  • ヲ勝家ニ
  • 依リ淺井
  • トノ説

  • 天正十年六月二十七日

ノンブル

  • 七八九

注記 (27)

  • 402,679,73,2113りを被仰付可被下候、はや〳〵年もより申候間、別ニ望みも無御座候、城
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