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日諏訪表え可爲御馬ヲ立候條、其許有り合候衆相催し、彼地へ可押出由, 知久頼氏, 松え御下國有、頼氏堅固に奉供奉、同年七月、信州伊奈郡の本領六千貫安, 堵之旨頂戴、同年家康公甲府え御著、翌年、頼氏方え御書を被成、其ニ曰、近, 子にうち出る時、忠次と心をあわじ、御嵩の御番をかたくまもる、羽立年信州, 從したてまつる、七月十日、甲府に著御あり、すみやかに諏訪表に御馬をす, ゝめらるゝにより、頼氏も、同國の輩を催しふ、彼地にはせまいるへきむ, 御書を下さお、二十六日、信濃國伊奈郡知久の本領六十九村安堵乃御判物, 佐久の郡前山、岩尾の城兩所におゐく一戰をとけ、士卒手負あまたなり、蘆, 而、初而遂御目見を、此年爲明知生害有故、家康公泉州堺ゟ伊賀路を經、濱, 被仰付、頼氏伊奈衆を悉ク相催し、不移時日を甲府へ參陣ス、夫より諏訪, 田修理大夫家中の勇士同し軍忠あり、, めて東照宮に拜〓し、六月、織田右府事あるのゝち、伊賀路より濱松まて扈, 天正十年、京師にをいく、はし, 〔知久記〕一天正十歳、徳川家康公於洛被爲御駕を留の砌、頼氏四拾二歳ニ, をたまふ, 〔寛政重修諸家譜〕], 少輯、, 式部, ○下, 十六, 三百四, 略, 天正十年七月七日, 九七六
割注
- 少輯、
- 式部
- ○下
- 十六
- 三百四
- 略
柱
- 天正十年七月七日
ノンブル
- 九七六
注記 (25)
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