『大日本史料』 11編 2 天正10年7月 p.740

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へ申候事、, 立候も尤之事也、, 新敷寺の御影の御前にて、一番と燒香を被仕候事, 警固之儀式、拔身共にて、特々敷相見へ申候由之事, 京中には一人も留る者なき也、洛中町人以下に至るまて、以之外さはお, 一筑前守殿は、ゆる〳〵と其跡え上洛を被遂玉へは、大名小名に至るまて、, 一筑前守殿は、京都にゆる〳〵と遊山して御入候か、國々えの大名衆へ使, 上は紫野へ參詣いたし、燒香初め可申候、御返事奉待候と、使者を被立候, の御供被成、洛中を夜にまたれ、岐阜をさして被成御下候事驚入申候、此, 者を被立候、今度岐阜より御上洛目出度奉存候、上洛仕候處に、吉法師樣, 得は、大名衆無面目とや被思けん、柴田とのを初とし、返状一通も無之聞, 一大名衆よりの返状無御座候事を、能々御聞屆被成、扨紫野へ被遂參詣、彼, 〔細川忠興(軍功記〕一信長樣御葬禮、蓮臺野ニ而被成候、互ヒ御氣遣ヒ而、御, 〔新撰豐臣實録〕七秀吉任官附改葬信長部, 兵ヲ動カシ得ザルヲ以テ、姑ク和スル, カントシ、越前雪深ク, ○下略、勝家、秀吉ヲ除, コトニカヽル、十一月二日ノ條ニ收ム, ルニ依リ, 獨リ法事, 等退京ス, 警固ハ拔, ヲ營マン, 身ニテナ, 秀吉勝家, ト報ズト, ノ説, ス, 天正十年十月十五日, 七四〇

割注

  • 兵ヲ動カシ得ザルヲ以テ、姑ク和スル
  • カントシ、越前雪深ク
  • ○下略、勝家、秀吉ヲ除
  • コトニカヽル、十一月二日ノ條ニ收ム

頭注

  • ルニ依リ
  • 獨リ法事
  • 等退京ス
  • 警固ハ拔
  • ヲ營マン
  • 身ニテナ
  • 秀吉勝家
  • ト報ズト
  • ノ説

  • 天正十年十月十五日

ノンブル

  • 七四〇

注記 (30)

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