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る鼓の筒を與ふ、, 御馬入給ふ、依之、北條家へ討取所の甲州、信州郡内は、家康へ被遣、扨三河よ, り御入輿有之よつて、代々武者大將山角記伊守定勝、始より和睦の御使た, を入給ひて、小田原と無夷に被成可然也とて、あつかひの筋目は、今度武田, 時、甲斐、信濃明國となる、家康公、甲州へ入國有て、信長臣河尻肥前守討取、甲, 出、家康公は新府城籠て對陳有て、所々に足を留え、百ケ日ニ及所に、北條美, 持分之國中甲斐、信濃は家康え渡し、上野は北條渡し、其上にて、家康の女を, しかば、御使をうけたまはりて、小田原城に赴きしに、氏直葡萄の蒔繪した, 濃守氏規、先年氏眞の時分、家康公と入魂に有しゆへに、家康公ゑあつかひ, 氏直へ迎取、縁者になり、自今已後、猶以入魂にとの吏こて無哀相調、北條殿, 註進いたしけるにより、小田原衆甲〓ゑ出張、郡内を討取、若御子迄御馬被, 斐國を治んとし給ひし時、甲斐住人大村右衞門、同伊賀と云もの、小田原ゑ, るによつて、見坂城にのこり、御入輿の御仲人たり、首尾好御祝儀相濟ぬ、〓, 松平清宗, 〔小田原日記〕天正十八年、小田原落城の由來は、先年天正十年、信長御生害, この年、北條氏直と御和睦あり, 寛政重修諸家譜〕二上, 玄蕃, 允、, 氏規和ヲ, 〓角定勝, 謀ル, 天正十年十月二十九日, 八五三
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- 玄蕃
- 允、
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- 氏規和ヲ
- 〓角定勝
- 謀ル
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- 天正十年十月二十九日
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- 八五三
注記 (24)
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