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入國之節, 天正十年三月十一日、武田家滅亡し、右之死, 捨置たるを、田野より四里乾の方、八代郡中山の廣嚴院と云て、曹洞宗の住, て、如件小宮山内膳、勝頼公に〓まれて御供申を、家康聞給ひ、内膳弟坊主を, 彼寺乃住持になさるゝ、信玄公乃菩提所は、兼そより惠林寺なれは、此寺に, 其上ニ此死骸も取納なは、織田家より咎めをも請へきやと、後難を恐れて, 僧、十一日夜に入田野に來而、勝頼父子を始め、從士の死骸を悉く田野觀音, 堂に葬して、塚を築て弔ひなす、和尚の曰、信長父子の咎を請る迚、國主の死, 骸葬するに何の恐あらん哉と云しよし、同年七月廿九日、大權現樣甲州御, 一圓寺領被下之、小宮山内膳友信か忠死を感し思召、内膳か弟坊主, 骸其儘捨置しを、武田の菩提所惠林寺は、去ル三日勝頼を寺内え拒て不入、, 此所え被爲成、中山廣嚴院ニ被仰付、田野, 觀音堂と一宇御建立有て、天童山景徳院と號し、御朱印七拾貳石餘、田野郷, 前々乃ことく乃寺領、此田野寺にも、田野の郷皆付よと有て下さるゝ、, を被召出、住持と被仰付、景徳院開山拈橋長因大和尚, 〔甲陽隨筆〕, と稱す, ○朝野舊聞哀藁, 小宮山丹後, 守昌友三男, 廣嚴院, 后中山廣, 百九十八所載, 七月七日ノ條ニ見ユ, ○家康、甲斐ニ入ルコー, 嚴院七世、, 下略, 弟子は、, ○上, 僧勝頼ノ, 屍ヲ葬ル, 廣嚴院ノ, 天正十年十月是月, 八七二
割注
- ○朝野舊聞哀藁
- 小宮山丹後
- 守昌友三男
- 廣嚴院
- 后中山廣
- 百九十八所載
- 七月七日ノ條ニ見ユ
- ○家康、甲斐ニ入ルコー
- 嚴院七世、
- 下略
- 弟子は、
- ○上
頭注
- 僧勝頼ノ
- 屍ヲ葬ル
- 廣嚴院ノ
柱
- 天正十年十月是月
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- 八七二
注記 (34)
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