『大日本史料』 12編 22 元和元年七月~同年九月 p.216

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は、今の山號を龍池山と名く、, を被出、暫くは親王の邸に據、拒戰をられしかと、光秀急に攻入しかは、遂に, 其後當山を、豊公一統の時、今の京極四條下ル所へ轉地なり、始の地き、今, 一休筆一枚起請一幅一休畫贊あり, も貞安町と云ふ、今の地き二條殿の別莊邸にて、池水山石巧築ありしか, 明智光秀、天正十年六月二日反逆の時、織田三位中將信忠卿、妙覺寺の旅館, 自殺をらな、のふて右大臣殿父子、開山上人を歸依淺からさりしかは、豊太, 閤の命として、中將殿の遺骸を當山に葬り、塚をたて、大雲院殿三品羽林中, 後醍醐天皇御作金林寺茶入一口、蓋裏ニ勅字并底ニ廿一内ト朱漆、, 郎將仙岩大居士と號、此時き二條烏丸なり、, 安土宗論勝利時、褒賞として、, 軍配團扇, 已下貞安上人開基諸寺記傳、, 已上近江國八幡山四光寺記、, 玉澗〓墨山水一幅有自讚, 元和元年七月十七日, 京都貞安, 安土宗論, 勝利ノ賞, 町, 二一六

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  • 京都貞安
  • 安土宗論
  • 勝利ノ賞

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  • 二一六

注記 (21)

  • 724,741,56,855は、今の山號を龍池山と名く、
  • 1412,664,69,2219を被出、暫くは親王の邸に據、拒戰をられしかと、光秀急に攻入しかは、遂に
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