『大日本史料』 12編 26 元和二年雑載~元和三年三月 p.642

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ところ、郷民等みなのかれさり、足弱のみ殘れり、よりてその始末をたつ, ね問は、先に大坂より薄田隼人兼相、山口左馬助弘定等出張して、吉安か, り、台徳院殿は平野に御本陣をすへられ、其のち茶磨山、岡山等に御陣を, へし、大和海道にして三將にあひ、ことの次第を達す、このときにあたり, た二條城にまいりて具に言上す、のち東照宮、台徳院殿大坂に御出馬あ, 野より七八町東なる鞍作村のあたりに到著す、ときに大坂勢すてに平, て六日の朝にいたり、忠明等、平野に到りしかは、則ことのやうをつけ、ま, て、平野のかたに火の手見えしかは、また歩をめくらし、平野にいたるの, 味方の人數をしきたるを見て、火をはなちて引退きしといふ、すてにし, 野に出張し、はけしく鐵炮を打かけ、味方ちかよらはとりかこんて討取, 三將に御書を與へ、其夜かの地をうちたち、吉安先手を導き、五日の朝、平, 一族等をこと〳〵く捕へ、その軍勢をもつて取かたむるのところ、今朝, へき體なりしかは、吉安しはらく先手の人數をとゝめ、これより取てか, たてらるゝのとき、仰をうけたまはり、その普請を沙汰せしかは、十四日、, 東照宮の御前にめされ、御手つから御紋の陣羽織をたまひ、弟末吉五郎, 元和三年三月二十六日, 六四二

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  • 六四二

注記 (17)

  • 1098,705,60,2142ところ、郷民等みなのかれさり、足弱のみ殘れり、よりてその始末をたつ
  • 982,709,60,2142ね問は、先に大坂より薄田隼人兼相、山口左馬助弘定等出張して、吉安か
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  • 1329,723,59,2128へし、大和海道にして三將にあひ、ことの次第を達す、このときにあたり
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