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翌日五日、大徳寺へ參詣し、亡君總見院殿の〓前に至り、落〓今はらのやう, 申上候はん、其旨修理亮殿へ被仰達候へと有しかは、四人之衆、けに左もあ, 各は少し在洛し、信長公御廟所へも參り、五六日も過候て下るへきとなり、, なくては、遠路上りたるかひなしと思ひ、をし返し筑前守殿へ申入ゑうは, は、各忝事身に餘り侍ると云しは、かやう乃事なるへしと、一入悦ひあへり, 迚の御事に、盟の所いかゝ御座有へく候や、互乃御誓紙も能候はんやと有, らん事也と思ひ、重て不及右之沙汰歸にけり、其趣勝家へ懇に以使禮申入、, 不殘其かため宜しくおはさんや、各へ其赴申つかはし、是より一つ書を以, かたに至長濱著津し、直に越府に著て、十日之晩、北の庄へ參り、秀吉よりの, ぬ、久々親しひぬる京童温問し來り、晝夜を盡しての遊興、數年之勞一時に, になん見えて新なり、四使在京之由秀吉聞給ふて、種々之幣禮事盡にけれ, を歸したり、四人之衆秀吉の御存分思之外かろくおはします也、雖然其驗, 消、歸路之思を亡すと云共、十一月八日、都を立て、大津より船に乘、其夜の明, けれは、我もかく存寄候、丹羽五郎左衞門尉、池田勝入なとゝも申談、宿老共, は、何を以いなひ申候はんやとて、一兩日饗膳よおに沙汰し、霜月四日、四使, 勝豐利家, 廟所ニ詣, 等信長ノ, 十日北庄, 都出發説, 等八日京, 歸著説, 勝豐利家, 等ヲ饗ス, 諾シ勝豐, 秀吉和ヲ, ヅ, 天正十年十一月二日, 九〇三
頭注
- 勝豐利家
- 廟所ニ詣
- 等信長ノ
- 十日北庄
- 都出發説
- 等八日京
- 歸著説
- 等ヲ饗ス
- 諾シ勝豐
- 秀吉和ヲ
- ヅ
柱
- 天正十年十一月二日
ノンブル
- 九〇三
注記 (29)
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