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事を御頼あり、島津修理大夫, 御軍議あり、此節御譜代の輕卒に、佐藤小三郎, 義久同心の返答あり、是より日夜, の衆に敵しかたきつ故に、家臣本田右馬丞を御使として、薩摩へ合力の, といふ者を間者に仰付られ、敵地の樣子を諜さしめらる, 衞尉、同左近大夫、同左衞門大夫、同又八郎等をして、是に從はしむ、有馬義, 舊記、兵庫, 頭に作る, 後名を勝兵衞と改め賜り, しよし、舊記に見へり、, 信に攻られ、成松遠江守信勝に因て降參す、純忠の女を以て隆信ク二男, 造寺隆信肥前を侵す、此時分大村丹後守純忠、大友家に屬するを以て、隆, 九州記卷六、, 夫義純、同義直も軍勢を出さる、西郷刑部大輔、同右衞門大夫、多良宇良上, 御和睦ありて、此時は其催促に應したまふと見へたり、義純、義直と記, 野介等も、武崎より出船す云々、是等の文に因て考ふるに、此時龍造寺と, 〓、天正五年、龍, 左近大夫、同左衞門大夫、同又八郎以下を遣ハして從はしむ、有馬修理大, 誤りは、諸書皆然り、西郷氏ハ、先年當家を叛て隆信に屬す、多良宇良恐く, る、又鍋島豐前守信房を大將にて、吉田、嬉野久間、大塚、原、永田等を相添て, に、天正九年辛巳四月、龍造寺肥後發向の時、御人數を出されし事、西國太, 〓伐の時、長子民部大輔政家ヽ鎭を以て先鋒とす、大村丹後守、同氏左兵, 大將とし、數多の軍勢を差, 莊津鹽田津より舟手にて指向らる、大村丹後守純忠は一色左兵衞尉、同, 縄、同義直も亦軍兵を出し、是に從ふ、島原純豐、深江、安徳、及高來、彼杵の士、, 兵船數十艘を促して、高瀬、大島、猫宮、三池、黒崎諸浦に至る云々、今按する, 原純豐、神代貴茂等、同しく降參す云々、同卷面ヽ天正九年四月、隆信肥後を, は多比良の訛れるなるへし、此時分當家の士卒大抵二千五百に足ら, 〓記にも見へたり、其文に、松浦肥前守鎭信、同豐前守、是等陣代を相添, 江上家種に妻す、高來有馬修理大夫も降を乞て隆信に屬す、深堀純賢、島, と舊記に見へたり、藩翰譜に、天正九年、有馬又隆信に叛かれ、竊かに薩摩, 向て戰ひ止時なし云々, 衞尉、同左近大夫、同左衞門大夫、同又八郎等をして、是に從はしむ、有馬義, の島津と志を通して、隆信安からぬ事に思ひて、二男江上又四郎家種を, 賢、, 寺隆信二, 鎭貴龍造, 鎭貴義久, 服屬ス, ノ援ヲ乞, フ, 天正十年十一月二十三日, 九七七
割注
- 舊記、兵庫
- 頭に作る
- 後名を勝兵衞と改め賜り
- しよし、舊記に見へり、
- 信に攻られ、成松遠江守信勝に因て降參す、純忠の女を以て隆信ク二男
- 造寺隆信肥前を侵す、此時分大村丹後守純忠、大友家に屬するを以て、隆
- 九州記卷六、
- 夫義純、同義直も軍勢を出さる、西郷刑部大輔、同右衞門大夫、多良宇良上
- 御和睦ありて、此時は其催促に應したまふと見へたり、義純、義直と記
- 野介等も、武崎より出船す云々、是等の文に因て考ふるに、此時龍造寺と
- 〓、天正五年、龍
- 左近大夫、同左衞門大夫、同又八郎以下を遣ハして從はしむ、有馬修理大
- 誤りは、諸書皆然り、西郷氏ハ、先年當家を叛て隆信に屬す、多良宇良恐く
- る、又鍋島豐前守信房を大將にて、吉田、嬉野久間、大塚、原、永田等を相添て
- に、天正九年辛巳四月、龍造寺肥後發向の時、御人數を出されし事、西國太
- 〓伐の時、長子民部大輔政家ヽ鎭を以て先鋒とす、大村丹後守、同氏左兵
- 大將とし、數多の軍勢を差
- 莊津鹽田津より舟手にて指向らる、大村丹後守純忠は一色左兵衞尉、同
- 縄、同義直も亦軍兵を出し、是に從ふ、島原純豐、深江、安徳、及高來、彼杵の士、
- 兵船數十艘を促して、高瀬、大島、猫宮、三池、黒崎諸浦に至る云々、今按する
- 原純豐、神代貴茂等、同しく降參す云々、同卷面ヽ天正九年四月、隆信肥後を
- は多比良の訛れるなるへし、此時分當家の士卒大抵二千五百に足ら
- 〓記にも見へたり、其文に、松浦肥前守鎭信、同豐前守、是等陣代を相添
- 江上家種に妻す、高來有馬修理大夫も降を乞て隆信に屬す、深堀純賢、島
- と舊記に見へたり、藩翰譜に、天正九年、有馬又隆信に叛かれ、竊かに薩摩
- 向て戰ひ止時なし云々
- 衞尉、同左近大夫、同左衞門大夫、同又八郎等をして、是に從はしむ、有馬義
- の島津と志を通して、隆信安からぬ事に思ひて、二男江上又四郎家種を
- 賢、
頭注
- 寺隆信二
- 鎭貴龍造
- 鎭貴義久
- 服屬ス
- ノ援ヲ乞
- フ
柱
- 天正十年十一月二十三日
ノンブル
- 九七七
注記 (43)
- 1765,712,62,847事を御頼あり、島津修理大夫
- 1647,711,62,1351御軍議あり、此節御譜代の輕卒に、佐藤小三郎
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- 1146,725,52,2119衞尉、同左近大夫、同左衞門大夫、同又八郎等をして、是に從はしむ、有馬義
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- 1397,715,47,2136信に攻られ、成松遠江守信勝に因て降參す、純忠の女を以て隆信ク二男
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- 1571,2443,42,385九州記卷六、
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