『大日本史料』 11編 3 天正10年12月 p.440

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甲州沒落の後、め, 應してはからふへきむ〓仰下さる、一, 猶々、委内藤平左衞門口上可申候、, そのうつしにいはく、, 候、少も不可有油斷候、恐々謹言、, まひ、從兵を率ゐて甲府に赴き、岡部次郎右衞門正綱、平岩七之助親吉等と, 〔寛永諸家系圖傳〕, されて東照大權現にりろへたてまつり、駿州にをひて領地千二百石を給, 令談合、彼指圖次第、河口河尻ろ、又新府迄か相移、時宜可然之樣行等肝要, 小濱景隆, 急度申越候、其家中人數悉召連、甲府へ差越、岡部次郎右衞門尉、平岩七助, 有泉某, 相議し、その指揮にしたろひ、河口河尻の地、あるひき新府にうつり、時宜に, ふ、其後嚴命をかうふり、甲府の留守をつとむ、景隆ならひに間宮造酒丞に, 正月十三日家康公御判, 十一年正月十三日、また御書をた, 有泉大學助殿, 穗坂常陸介殿, 〔寛政重修諸家譜, 家康公御判, 正月十三日, 天正十一年正月十三日, 民部左衞門尉、後伊, 勢守とあらたむ、, 百二, 十九, 下略, 大學, 助、, 百三, 千二, ○上, ○, 小濱景隆, 天正十一年正月十三日, 四四〇

割注

  • 民部左衞門尉、後伊
  • 勢守とあらたむ、
  • 百二
  • 十九
  • 下略
  • 大學
  • 助、
  • 百三
  • 千二
  • ○上

頭注

  • 小濱景隆

  • 天正十一年正月十三日

ノンブル

  • 四四〇

注記 (36)

  • 402,2291,56,469甲州沒落の後、め
  • 509,578,69,1085應してはからふへきむ〓仰下さる、一
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