『大日本史料』 11編 4 天正11年4月 p.117

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しめし、食を入よ、めし出來候はゝ、牛馬に付させ、しつかたけを心掛、急き, しおしのあるたはらを、食かとおもひとる者あらは、是は御馬の合ぬか, にて候か、御用に候はゝ可進之と、是も可相渡もの也、如仰道々にてはい, 可參なり、合ぬかには、木乃枝かかみなとをしるしにすけよ、跡より人數, 〓ゝかは、草臥たるもの多く可有なり、是は食にて候、可參々々と言聞さ, 進なり、彼城に馬上二百六十騎、都合其勢二千計なり、無殘被討果候、是に, よ、定め皆くうべきもの多く可有者也、はいとる者あるならは、其まゝと, ツの城内中川瀬兵衞立籠申城、佐久間玄蕃切崩申、則瀬兵衞討死との注, らせよ、きおものに御包候へ、てのこひなとにも御つゝみ候て可然と、お, 取もの、又はもらひ申もの數をしらす有之也、御意之通にまかせ相渡申, 日夜に入、し〓かだけ山下え夜にまきれ被成御入候得は、はや取出ゟ三, しはなしとらに〓き也、縱はいとお食も、先へ持來りなは、皆用に可立也、, をは其まゝおけ、たはらをたつにきりあけ、内へ鹽水のからきを以よく, 事、, 一道中人數被成御打候時は、のほりさし物のきぬしほり、道中は如此候、廿, 天正十一年四月二十日, アラバ其, 奪フモノ, 麓ニ著ス, 夜賤嶽ノ, 道ニ食ヲ, 清秀戰死, 意ニ任セ, ニ運バシ, ノ報ニ接, 飯ヲ賤嶽, 二十日ノ, テ取セヨ, 一一七

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  • アラバ其
  • 奪フモノ
  • 麓ニ著ス
  • 夜賤嶽ノ
  • 道ニ食ヲ
  • 清秀戰死
  • 意ニ任セ
  • ニ運バシ
  • ノ報ニ接
  • 飯ヲ賤嶽
  • 二十日ノ
  • テ取セヨ

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  • 一一七

注記 (29)

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