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衞門子、同主水と稱するなり、, の後、不計お保良を御幸遇有て、虎松君を, は、別條なく段々成長あり、是則ち松平右近將監清武の事也、, 然るに又お保良の方の姉ありし故、彼の御, 左衞門に嫁せり、夫の越智與右衞門死去の後、榮月尼と稱せしは此事也、お, 保良妹あり、小塙太兵衞に嫁し、同靱負を生じ、女は黒田甲斐守長重に嫁せ, 四月廿五日なり、又間も無くお保良懷妊ありし故、此度は御隱便の方こそ, を武士に取立られ、甲府家へ御抱守を勤仕して、其後五百石を拜領す、清右, 與右衞門迎入れ、慇懃に挨拶して一室に備て置しか共、難産にて廿八歳に, り、其後右の源右衞門は、越智與右衞門清隆の異見に依て、弟清右衞門良中, しかるべけれとて、松坂の局取計にて、越智與右衞門清隆妻に成し下さる、, り、此腹に女子二人出生せり、一女は笹山甚太郎具晴に嫁し、一女は千本兵, して逝去あり、時に寛文四年甲辰二月廿八日なり、然れども御出生の男子, 産の子養育の爲と稱して、與右衞門方へ遣され、妹のお保良跡の後妻とな, 産せり、時に寛文二年壬寅, 一一十七日, 〓織田信雄、尾張〓田宮大工岡部又右衞門ニ、中島郡ノ地ヲ給, 天正十一年八月二十七日, 歳とあり、此難産の子は與右衞, 此時文昭公は, 三歳、清武は二, 門が子ならんか、追て考ふべし、, 御幼名, 文昭公, 衞門ニ嫁, 長昌院ノ, 姉ヲ與右, 衞門ニ嫁, 越智與右, 歿ス, 難産ニテ, 家宣ヲ生, セシム, ス, 九六六
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- 歳とあり、此難産の子は與右衞
- 此時文昭公は
- 三歳、清武は二
- 門が子ならんか、追て考ふべし、
- 御幼名
- 文昭公
頭注
- 衞門ニ嫁
- 長昌院ノ
- 姉ヲ與右
- 越智與右
- 歿ス
- 難産ニテ
- 家宣ヲ生
- セシム
- ス
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- 九六六
注記 (35)
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