『大日本史料』 12編 8 慶長十六年三月~同年十月 p.107

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寢物語といふ所, の住人、樋口美濃守, 則改淺野彌兵衞尉長勝なり、, 吉郎秀吉と娶して、以後太閤北政所殿と唱へしは、此おやゝ也, 同嫡備前守長政、織田信長と度々合戰に及ふ、秀吉毎度先駈す、長吉, 尾州愛智郡中村の地侍、木下七郎左衞門尉家利の女再娶、此人には子なき, 永祿九丙寅年、秀吉、濃州川半の砦を能く守りて軍功を信長感賞あつて、則, 附隨ひて、或時は山野に馬を馳、又或時は幽谷に皷て、自首を捕る事敢て數, 故に、彼家利の嫡男木下肥後守の女、名おやゝと云人を養女として、木下藤, 同十二己巳年より元龜三壬申年迄之間、江州小谷の城主淺井下野守久政、, 秀吉の所領の内百二十貫を分て彌兵衞に與, しむ, 同十一戊辰年三月九日、右之長繼を淺野長勝の爲養子聟、娘おねゝと嫁す、, 於彼邊、三千貫の所領を宛行、安井彌兵衞尉長繼といふ者を屬して後見せ, 井彌兵衞尉長繼を養子とす、是則彈正少弼長政なり、養女き江州濃州の堺, 女なり、此人の産子名お〓ゝを長政〓として聟養子とす、此養母死去之後、, ふ, の, すといヘとも、無給人也, 此長繼は、信長弓衆へ列, いふ所の人とも、, ○長政, 又はたけくらへと, 貫之數は、今, 子孫、多信長、又は, ノ初名、, 謂石に當る、, 秀吉秀頼に仕ゝ, ○中, 略, 慶長十六年四月七日, 一〇七

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  • すといヘとも、無給人也
  • 此長繼は、信長弓衆へ列
  • いふ所の人とも、
  • ○長政
  • 又はたけくらへと
  • 貫之數は、今
  • 子孫、多信長、又は
  • ノ初名、
  • 謂石に當る、
  • 秀吉秀頼に仕ゝ
  • ○中

  • 慶長十六年四月七日

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  • 一〇七

注記 (32)

  • 1782,632,59,489寢物語といふ所
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