『大日本史料』 11編 5 天正11年8月 p.904

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をろけて、峯の古城にいたな、, 關平兵衞盛次, 城に入得ざる者おほし、秀吉の兵進て城の門際に付、正勝、重政二人門を開, ふせがしむ、重政こきにしたろふ、正勝等士卒五千人、龜山の城外の町に火, 北す、こゝにをひて、正勝塚の上にのほりて自害せむとす、重政、正勝をいさ, 同十日、秀吉の大軍竸きたり、川を〓だてゝあひとゝろふ、信雄の兵遂に敗, めていはく、武將た多程の者、城外にて死す〓はよろしろらずとて、正勝を, たすけ槍をとり、敵をつきちらして城中に入、郎從歩卒敵にへだてられて、, ゆく、同十日、大閤の兵と峯の古城にとゝろふ、, て敵の兵を追はしらしめ、すみやろに城にいりてこ〓をまもる、重政この, 同十日の夜、正勝兵を引て歸多, 時二十一歳なり、正勝大に忠戰を稱す、, 同年三月九日、常眞、甚九郎正勝を勢州龜山に遣す、重政、正勝にしたろつそ, 生國甲〓、關甚五兵衞ト申者同名ニテ御座候、此跡尾張内府ニ奉公仕候, 南紀徳川史, 〔山口家傳〕蟹江一亂, ○上下略、寛政重修諸家, 譜山口重政譜異事ナシ, 名臣傳, 五十六, 放火ス, 峰ノ古城, 峰城合戰, ノ城外ニ, 十日説, 正勝龜山, ニ入ル, ヨリ退ク, 正勝等峰, 關盛次, 天正十二年三月十五日, 九〇四

割注

  • ○上下略、寛政重修諸家
  • 譜山口重政譜異事ナシ
  • 名臣傳
  • 五十六

頭注

  • 放火ス
  • 峰ノ古城
  • 峰城合戰
  • ノ城外ニ
  • 十日説
  • 正勝龜山
  • ニ入ル
  • ヨリ退ク
  • 正勝等峰
  • 關盛次

  • 天正十二年三月十五日

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  • 九〇四

注記 (32)

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