『大日本史料』 11編 6 天正12年3月 p.934

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縱横につき出、城外に戰死す、加藤太郎右衞門忠景は、天衝の大さし物さ, 田勝入、森武藏守大軍をひきゐて此城を攻む、氏重年十六、弱冠なりとい, もむく時、其弟當郡傍爾本村の領主丹羽次郎三郎氏重及姉壻長久手の, は、紺に白筋二ケ所引たるをさし、紺糸の鎧に蘆毛の馬に乘、手鎗を持て, し、白糸の鎧著て、月毛の馬にのり、大身鎗を提て、よせ手十四人討とり、數, ケ所痛手を追て遂に戰死す、時に年四十二、當日卯の上刻より辰下刻に, といへり、東南の方に一株の古松あり、當城は丹羽若狹守氏清、天文七年, へども、池田、森か猛勢に對して、義を守り勇を震ひて、士卒從類等まで悉, 住へりしなり、然るに同年三月、氏次、徳川公の供奉して、小牧の陣營にお, 並戰死す、其士主從四十一人、射夫三十八人、歩卒六十人、奴僕七十人、工商, の入城せしもの三十人ばかり、惣計二百四十人なり、氏重が其日の指物, 領主加藤太郎右衞門忠景等に、家士を授と當城を守らしむ、四月九日、池, 職、其子右近太夫氏勝、其子勘助氏次にて四代、天正十二年まで四十七年, あらたに築て、本郷の城より移りて此處に住り、かくて其子右近太夫氏, 城兵敗れて戰はてぬ、翌十日、惣死骸とり納めて、氏重を妙仙寺に、忠景を, 天正十二年四月九目, 九三四

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  • 九三四

注記 (17)

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