『大日本史料』 11編 7 天正12年4月 p.378

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出城トナリ、秀吉公是ニ氣ヲ直、令歸馬給、, の外も沼川にて、輙近つきかたし、いかゝあらんと思ふに、秀吉備中高松の, かけしかは、程なく湖水に成て、城はわつかに嶋の〓し、大木にすのこをか, ゝへんとする所に、城主不破源六父子、城を明りたし、尾張に到〓し、命たす, の中にかはきつきて、もとの地とそなりにける、崩し所をつきて、又水をた, きてあかり居、程なく水にしつみうさなんとみえしに、いかゝしたりけん、, 大和國筒井順慶か陳所の前堤崩落、行水は高し、川乃みなきる音して、一夜, だれよりたけかはなの城へ寄かこみぬる、堀方かく廣きに、水をたゝへ、城, 〓く、水をつけて責はやとて、城のまはり五十餘丁に高く堤を築あけ、せき, テ水攻成就有之間敷處、堤不切以前ニ拵相濟ノ間、違背如何可有シトテ、令, け給へと和をこひしかは、だの義にまかせ、城を請取、暫兵をいこはんため、, 跡に登りれ給はんとて、美濃國大垣に至り給ひめる處に、瀧川左近尾張のあ, に江乃城にうつりぬるよし使あり、, 〔當代記〕二秀吉公竹カハナヲ取詰、水攻ニシ給、同月下旬ニ落去、堤キレ, 〔豐鑑〕ニ袖露, ○上下略、加賀野井落城ノコト、及ビ蟹, 江攻撃ノコトニカヽル、五月七日及ビ, 陣所ノ前, 筒井順〓, 竹鼻城ハ, 約成ル, 水壕深ク, ノ堤切ル, シテ廣ク, 以前ニ〓, 堤切ル, 近ヅキ難, 天正十二年六月十日, 三七八

割注

  • ○上下略、加賀野井落城ノコト、及ビ蟹
  • 江攻撃ノコトニカヽル、五月七日及ビ

頭注

  • 陣所ノ前
  • 筒井順〓
  • 竹鼻城ハ
  • 約成ル
  • 水壕深ク
  • ノ堤切ル
  • シテ廣ク
  • 以前ニ〓
  • 堤切ル
  • 近ヅキ難

  • 天正十二年六月十日

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  • 三七八

注記 (29)

  • 1544,652,61,1227出城トナリ、秀吉公是ニ氣ヲ直、令歸馬給、
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  • 957,659,60,2209かけしかは、程なく湖水に成て、城はわつかに嶋の〓し、大木にすのこをか
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