『大日本史料』 11編 15 天正13年4月 p.83

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の方堤潰えて、, へき術なし、土俵六十餘萬を用ひ、數日にして漸く本の如く築きなせり、されとも城中, しかは、城内も兼て待設し事なれはこゝを先途と防きける、中にも水練の者をいれて、, れぬ、これより後は寄來る者もなく、唯次第弱りをそ待にける、城中猛しといへとも力, を用ふへき所もなく、要害も魚鼈の窟〓黽の棲ととなりけれは、英氣曰々に衰へて謀を, 死を免るゝ者は鐵炮に打殺され、散々になりて引退く、海賊尼カ崎吉兵衞數百人を率て, 敵の船底に穴を穿けれは、俄に船中水こみとなり、寄手の周章斜ならす、はふ〳〵溺, 激せしかは、陣中大に擾亂して溺死の者數を知らす、堤の切所深淵となりて俄に堰留む, 花やかに甲冑を裝ひ、城近く乘つけて、大音に惡口し、城兵を誘き出さんと謀りしに、持, 海となりけれは、寄手の大將中川藤兵衞大船數艘に取乘て、弓・鐵炮にてきひしく攻寄, 堰筋より水を灌く、四月朔曰より漸々に水入來り、三曰より大雨降つゝき俄に一面の泥, 口の大將太田源三大夫鐵炮を取てこれを撃つ、あやまたす其丸吉兵衞に中りて船底に倒, 出さむ所を知らす、折節連日雨止ます、水勢曰々に増りけれは、九日酉ノ刻に至りて東, 五十三町といふ、, 白浪山を崩すか如く、宇喜多秀家の陣營に衝, 三里許上にて紀川を堰て、宮・小倉の兩, 堤切所百五十間、黒田・出水兩村, の界にあり、今猶切戸口といふ、, 夫四十六萬九千二百人を用ふといふ、, 高さ二間より三間半、根敷十八間、人, 海賊尼カ崎, 吉兵衞戰死, 天正十三年四月二十二日, 八三

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  • 堤切所百五十間、黒田・出水兩村
  • の界にあり、今猶切戸口といふ、
  • 夫四十六萬九千二百人を用ふといふ、
  • 高さ二間より三間半、根敷十八間、人

頭注

  • 海賊尼カ崎
  • 吉兵衞戰死

  • 天正十三年四月二十二日

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  • 八三

注記 (24)

  • 630,723,55,358の方堤潰えて、
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