『大日本史料』 11編 7 天正12年4月 p.790

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伊豆等を差向、粟野勢を追散し、粟野方も思ふ儘に働きしたりし故へに、, 草倉の戰ひの最中の〓ゆへ、上を下へと散亂す、是皆時節を見て計る事, 平野大膳、岩出左京、松ケ崎雅樂、神山新右衞門、戸叶等の人々相分て、尻内、, 此後に中村諏訪山の合戰、又粟野責の元と成こけり、, 退散したりけれとも、終に皆川方も先其儘に歸りけれは、終に意恨と成、, 拂はんには燒後こて燒草たもなし、夜討さんには石弓等の計略も有や, す〳〵まん〳〵として、山路の樣子見へをれは、詮方も更こ來し、又皆河, 方も種々工夫なすといへとも、小田原勢大平山の山上に陣取けまは、燒, 斯と八月十八日、吉戰もなく、互に計略を廻らし申さんと評定のみしてと, 暮しける、小田原あたは、種々心を碎文計略を成さんとしけれとも、霧ま, 也、時そ廣照下知して、其勢三百餘騎を差添〓、天野中務、板橋與次郎、川崎, 梅澤、鍋山、久野、深程等の郷番の者を討散し、境の定杭を立替亂妨す、是に, 依て、天正十二年八月十八日早朝と此よしを皆河へ注進す、皆河家は今, 佐山信濃守討死并こ惣軍戰之事, と下より責のほりかたし、只平地へ引受戰んより外なしと、互に計略の, 天正十二年七月十五日, 七九〇

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  • 七九〇

注記 (17)

  • 1216,719,60,2163伊豆等を差向、粟野勢を追散し、粟野方も思ふ儘に働きしたりし故へに、
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  • 1914,2457,39,118七九〇

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