『大日本史料』 11編 8 天正12年8月 p.83

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に備り玉ひしの類、交質, 下りて、信康君の夫人とならせ玉へるにはあらにや、, 閤の養子とならせ玉ひ、太閤の御妹濱松に下らせ玉ひ〓、東照宮の北の方, に逝し玉ひ、御年八十九なりしよし、本誓寺の記, し玉ふにはあらねど、かゝる例もおほ, の女を信康君へ許嫁あり、十年五月廿七日には、御入輿ありし程なりしか, し、, ば、我光源君寡居し玉ひしを聞と、やがて養ひ參らさて〓、筒井の許へ御入興, 當時の事情を考るに、東照宮、太閤と平がさ玉ひし後、秀康君は上京して、太, かれは、光源君は上京して、信長の養女とならさ玉ひ、信長の御女は、岡崎に, 信長と成ぎ玉ひしよりこのかた、兩家の御したしみあ〓く、六年には、信長, ありしならん歟、天正三年には、光源君は三十一歳、順慶は二十七歳と聞へ, おもぬに、東照宮、永祿四年、, 光源院殿寛永十年, 人質をとり, のはす事、, 會牽強の説多く、前後矛盾する事もすくなから, ねば、これらの事もいかゝあるべき、尚考ふべし、, も引用したれば、正しきものと、世の人は心得めれど、今通篇を考ふるに、附, を室となすべからざれば、二書必一誤あら〓、諸將軍傳は、安積氏の成蹟に, 二月廿, の末女秀子といへるを迎て室とすとありて、許嫁のはしめより、婚姻の〓, にい〓るまで、いと詳にしるせり、されど順慶、定次父子、おなしく信長の女, 二日、, 春行が女を妾となとしよし見え、天正六年三月、順慶か猶子四郎定次、信長, 見えず、順〓には本室なし、箸尾宮内少輔高春が〓下布施太郎左衞門尉, ノ女ヲ女, ルトノ説, 定次信長, 天正十二年八月十一日, 八三

割注

  • 人質をとり
  • のはす事、
  • 會牽強の説多く、前後矛盾する事もすくなから
  • ねば、これらの事もいかゝあるべき、尚考ふべし、
  • も引用したれば、正しきものと、世の人は心得めれど、今通篇を考ふるに、附
  • を室となすべからざれば、二書必一誤あら〓、諸將軍傳は、安積氏の成蹟に
  • 二月廿
  • の末女秀子といへるを迎て室とすとありて、許嫁のはしめより、婚姻の〓
  • にい〓るまで、いと詳にしるせり、されど順慶、定次父子、おなしく信長の女
  • 二日、
  • 春行が女を妾となとしよし見え、天正六年三月、順慶か猶子四郎定次、信長
  • 見えず、順〓には本室なし、箸尾宮内少輔高春が〓下布施太郎左衞門尉

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  • ノ女ヲ女
  • ルトノ説
  • 定次信長

  • 天正十二年八月十一日

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  • 八三

注記 (31)

  • 661,634,56,684に備り玉ひしの類、交質
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