『大日本史料』 11編 10 天正12年10月 p.167

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城在所々へ參候、, へ戻り申候、右御咄し之通は和泉守雜談にて承候、, かひ給ふ、, しみに及かたし、信雄を始奉り、信長の御そうはいかてかおろかに思ひ給はん、我を, を討て信長の亡魂のいかりをやめ、なき御跡を清めし忠義少にあらされとも、猶いつく, 文月も過、秋も漸近くなりゆくほとに、秀吉又伊勢國に趣給ひ、桑名の西永の山へ取, 合戰之一卷被仰出、種々御懇之御意にて、御小袖致拜領、夜ル八ツ過七ツ時分に桑名, あかり、陣所をかまへ、桑名を見下して軍の手たてまてし給ふ、信雄長嶋・桑名にむ, 一御無支相濟、二三日過申候て、大閤樣上方へ御馬入申候、權現樣御人數皆々免々之居, 大閤樣へ御目見に被遺候処、大閤樣御機嫌殘所無御座、樣々之御咄し、其上永久手御, 秀吉もと信長のすさなりし富田左近・津田隼人兩人を付, て、信長の惠を請、いつくしみの深きこと、いにしへにも聞さる程なり、我明知光秀, 一勢州巴豆大閤樣御本陳へ水野和泉守・石川伯耆・中川勘右衞門・稻生野隱岐、此四人, 權現樣六十二年甲申ノ歳尾州表にて大閤樣と御取合次第, 〔尾州表一戰記〕, 〔豐鑑〕二袖露, ○秀吉、桑名表ニ出ヅルフ, ○紀, 、本月七曰ノ條ニ見ユ、, 伊, 信津田隼人, 秀吉富田正, 吉ニ〓ス, 水野忠重石, 川數正等秀, ヲシテ信雄, ニ説カシム, 天正十二年十一月十五日, 御報, 一六七

割注

  • ○秀吉、桑名表ニ出ヅルフ
  • ○紀
  • 、本月七曰ノ條ニ見ユ、

頭注

  • 信津田隼人
  • 秀吉富田正
  • 吉ニ〓ス
  • 水野忠重石
  • 川數正等秀
  • ヲシテ信雄
  • ニ説カシム

  • 天正十二年十一月十五日
  • 御報

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  • 一六七

注記 (30)

  • 1032,671,58,424城在所々へ參候、
  • 1237,689,57,1271へ戻り申候、右御咄し之通は和泉守雜談にて承候、
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