『大日本史料』 11編 14 天正13年3月 p.107

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根來寺の開山は覺幾上人なり、佛法修行の靈地、行法等嚴密にして殊勝に見えしか共、, 五百人計出、彼勢を横あひに散々に射て、手負死人且出來し也、秀次是を斜に御覽し、, 岐守なと三干許にて、横あひに馬を可入の支度に見えて進けり、筒井・長谷川・堀なと, 千石堀の要害は俄に拵侍しかは、塀柵なともはか〳〵しうはよもあらし、いさあの弓, 鐵炮の者ともを、よこあひに馬を入乘わつて、千石堀へ不取入やうにせよ、さるほとな, 郎都合一萬五千、三月廿日未明に、根來寺さして打ける處に、千石堀より弓・鐵炮の者, 寺・濱之城三ケ所要害を相拵へ、逸物の弓、究竟之鐵炮をおほく籠置、軍勢往來之自由, 武道を專にし、不用國司之下知、不知文道、徒に空光陰、不顧師匠之鑑戒、動すれは亂, らは、付入に攻込候へしと下知し給へは、秀次先手田中久兵衞尉・渡瀬小次郎・佐藤隱, を妨けらる、依之千石堀の押へは秀次、積善寺の押へは長岡兵部大輔父子・蒲生忠三郎、, 納言秀長・羽柴中納言秀次なり、然は根來寺・雜賀中として、岸和田の並千石堀・積善, 〔太閤記〕七根來寺兵火并千石堀之事, 三月上旬、秀吉卒十萬騎被發向、副將は大和大, 國家、惱下民之條、爲追伐、天正十三, 濱の城をは中川藤兵衞尉・高山右近等おさへにけり、筒井順慶・長谷川藤五郎・堀久太, 酉, 乙, 全軍ノ副將, 羽柴秀長同, ヲ攻メシム, 秀次手兵ヲ, シテ千石堀, 秀次, 天正十三年三月二十一日, 一〇七

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  • 全軍ノ副將
  • 羽柴秀長同
  • ヲ攻メシム
  • 秀次手兵ヲ
  • シテ千石堀
  • 秀次

  • 天正十三年三月二十一日

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  • 一〇七

注記 (25)

  • 1798,674,63,2204根來寺の開山は覺幾上人なり、佛法修行の靈地、行法等嚴密にして殊勝に見えしか共、
  • 819,676,61,2193五百人計出、彼勢を横あひに散々に射て、手負死人且出來し也、秀次是を斜に御覽し、
  • 318,666,59,2234岐守なと三干許にて、横あひに馬を可入の支度に見えて進けり、筒井・長谷川・堀なと
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  • 573,669,57,2233鐵炮の者ともを、よこあひに馬を入乘わつて、千石堀へ不取入やうにせよ、さるほとな
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