『大日本史料』 12編 5 慶長十二年八月~同十三年十二月 p.433

Loading…

要素

割注頭注ノンブル

OCR テキスト

師高臺寺に葬る, 十六日、越後國高田, すて、小塚をくみふせ其首を討とる、そのゝち太閤より、秀政に越前國北, 越後國をたまふのとき、直政も同國沼垂郡にをいて五万石を領し、三條, 庄の城をあたへ、その勳功を賞するのとき、秀政もまた直政か忠節を感, 直次母は某氏、慶長五年、東照宮、會津御征伐のとき、直次、越後國三條城に, 城に住す、五年東照宮會津御發向のとき、越後國は上杉景勝か舊領たる, じ、姓氏をあたふ、これより直政藤原氏となり、堀を稱す、十二年長久手の, 直政すみやかに柏崎に出陣し、かの徒を討捕其亂をたひらく、東照宮そ, 八年小田原陣にも、秀政に屬して彼地に赴く、慶長三年、太閤より秀政に, により、景勝その國人をのたらひ、會津の境にをいて一揆をおこさしむ、, 合戰にき、秀政にしたかひて戰功あり、十三年太閤根來寺を攻るとき、秀, 政千石堀にむのふにより、直政もこれにしたかひて、軍功をはけまし、十, の功をきこしめされ、九月二十一日御感の御書を下さる、十三年二月二, にをいて死す、年六十二、法名道英、京, る、ときに小塚藤右衞門某、はせきたりて直政にむのふ、直政馬驗をなけ, ハ福島館トアリ, ○腺堀氏系圖一, ヲ與フ, 堀ノ姓氏, 高臺寺, 直次, 千石堀, 慶長十三年二月二十六日, 四三三

割注

  • ハ福島館トアリ
  • ○腺堀氏系圖一

頭注

  • ヲ與フ
  • 堀ノ姓氏
  • 高臺寺
  • 直次
  • 千石堀

  • 慶長十三年二月二十六日

ノンブル

  • 四三三

注記 (25)

  • 407,721,55,498師高臺寺に葬る
  • 523,725,54,550十六日、越後國高田
  • 1797,731,69,2151すて、小塚をくみふせ其首を討とる、そのゝち太閤より、秀政に越前國北
  • 1094,725,71,2162越後國をたまふのとき、直政も同國沼垂郡にをいて五万石を領し、三條
  • 1681,730,68,2153庄の城をあたへ、その勳功を賞するのとき、秀政もまた直政か忠節を感
  • 282,643,62,2236直次母は某氏、慶長五年、東照宮、會津御征伐のとき、直次、越後國三條城に
  • 979,725,69,2157城に住す、五年東照宮會津御發向のとき、越後國は上杉景勝か舊領たる
  • 1565,734,70,2145じ、姓氏をあたふ、これより直政藤原氏となり、堀を稱す、十二年長久手の
  • 748,724,67,2154直政すみやかに柏崎に出陣し、かの徒を討捕其亂をたひらく、東照宮そ
  • 1212,732,71,2148八年小田原陣にも、秀政に屬して彼地に赴く、慶長三年、太閤より秀政に
  • 864,734,66,2158により、景勝その國人をのたらひ、會津の境にをいて一揆をおこさしむ、
  • 1448,729,69,2155合戰にき、秀政にしたかひて戰功あり、十三年太閤根來寺を攻るとき、秀
  • 1330,723,70,2162政千石堀にむのふにより、直政もこれにしたかひて、軍功をはけまし、十
  • 628,733,67,2144の功をきこしめされ、九月二十一日御感の御書を下さる、十三年二月二
  • 514,1820,58,1063にをいて死す、年六十二、法名道英、京
  • 1917,737,65,2141る、ときに小塚藤右衞門某、はせきたりて直政にむのふ、直政馬驗をなけ
  • 499,1317,42,459ハ福島館トアリ
  • 548,1323,48,445○腺堀氏系圖一
  • 1568,291,39,113ヲ與フ
  • 1610,285,42,169堀ノ姓氏
  • 413,285,42,126高臺寺
  • 305,283,40,84直次
  • 1355,288,42,123千石堀
  • 186,726,44,474慶長十三年二月二十六日
  • 182,2463,44,126四三三

類似アイテム