『大日本史料』 11編 14 天正13年3月 p.130

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るへしとて、手勢を二手ニ分て、采拜を取て先陣にすゝむ、諸士泪を流し、清秀にお, 背の輩ハ曲事たるへき由かたく被仰出、時に秀政諸將ニ對し云けるは、今度下知なく, 太刀・駿馬・金銀等下シ賜リ、廿一曰ニ諸勢根來寺へ押寄攻ケレハ、大衆モ專度ト防戰, とらぬ器量なりと是を感す、相從者共、清秀より以來數度軍に馴たる者共なれは、勇, 同しく守居る事本意にあらす、縱下知を背きて罪科をうるとも、我等手勢を以て責と, シカ〓、有恥者ト三ノ砦ニテ打死セシ上、大勢ニ不叶、廿二日遂ニ攻破ラレ、堂宇不殘, 士擧テ譽ニケリ、廿曰ノ夜半ニ千城ヲ攻落シ、勇兵三十餘人、上下四百餘人ヲ筒井手ニ, 〔中川家譜覺書〕秀政, 打取リ、後ニ從秀吉公伊賀守へ感状、并ニ島・松倉・森・中坊・桃谷・布施・萬財等ニ, して戰事制禁なれとも、父清秀軍功世に其かくれなし、某若年にして、老功の高山と, 燒キ拂ヒ、廿三日ニ歸陣セリ、, 被仰付、しかるに秀吉より、何れの城をも大將の下知なくして城を責へからす、若違, み進て向の土手に待かけたる敵を追崩し、二の丸堀際にて責入、首數固討取、堀を」, 一、同年、秀吉泉〓千石堀・根來・雜賀の取出を責給とき、濱の城へは高山右近と秀政に, 童名長鶴丸、後藤兵, ○下略、四國征伐ノコトニカ, ヽル、七月五日ノ條ニ收ム、, 衞、號右衞門尉, 中川秀政, 重友ト共ニ, 濱城ヲ攻ム, 感状ヲ與フ, 自ラ陣頭ニ, 進ム, 秀吉定次ニ, 天正十三年三月二十一日, 一三〇

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  • 童名長鶴丸、後藤兵
  • ○下略、四國征伐ノコトニカ
  • ヽル、七月五日ノ條ニ收ム、
  • 衞、號右衞門尉

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  • 中川秀政
  • 重友ト共ニ
  • 濱城ヲ攻ム
  • 感状ヲ與フ
  • 自ラ陣頭ニ
  • 進ム
  • 秀吉定次ニ

  • 天正十三年三月二十一日

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  • 一三〇

注記 (27)

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