『大日本史料』 11編 14 天正13年3月 p.267

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も不存候、, 相果申候、最早昔のよしみ存候者は御座有間敷と存候、, ニ付、ト參に家を讓り被申候、其後本子出來申候、此本子、内々ト參をつぶし、家を, 慥に不承候、, 一、河内國は畠山殿本國にて、惣領此筋を相續之由、然とも其子孫只今はいかゝ御座候と, 國へ入來の時、熊野へ立退被申候、其後は浪人ニ而片桐市正殿ニ居被申候、後は秀吉, 息へ讓り被申候、是より代々此子孫宮原の領地相續被仕候處に、天正十三年秀吉公當, 居申候、此もの存生之内は、節々兵庫へ見舞申候、甚左衞門は巳霜月に年八十餘にて, 公御直之侍になり、只今は御當家へ附候而攝津國兵庫、邊にて知行三百石取居被申候、, 高壹萬石計りにて可有御座候、其後宮原にて後腹の男子出來申候故、宮原の屋形此子, 一、越中の國とも、右紀伊國同前に、初代の畠山殿よりわかれ申候やうに承り候、只今之, 名は畠山民部少輔と申候、いにしへの被官の者中西甚左衞門と申もの、在田郡道村に, 、廣のト參と申候は、初代の畠山殿ためには甥にて御座候、この畠山との子孫無御座候, 田山長門守殿は、越州の筋之樣に此邊の者共は申候、され共河〓の筋にて御座候とも、, (義眞), 野ニ退キ後, 秀吉ニ近侍, 畠山貞政熊, ト參, ス, 天正十三年三月二十五日, 二六七, ト參

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  • (義眞)

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  • 野ニ退キ後
  • 秀吉ニ近侍
  • 畠山貞政熊
  • ト參

  • 天正十三年三月二十五日

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  • 二六七
  • ト參

注記 (23)

  • 963,730,56,238も不存候、
  • 1207,732,63,1397相果申候、最早昔のよしみ存候者は御座有間敷と存候、
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