『大日本史料』 6編 14 観応元年11月~観応2年4月 p.726

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大崎御下以前、きら畠山殿の國あらそいの弓矢たへす、ある時畠山殿宮城, いたし家助のさふらひへ御越候間、不及力同心し奉ル、さる間岩切ニて畠, 出仕ス、わき白拍子十七ニ成候を一夜とめ給いて、その腹ニ三才ニなるり, 山かたさいけんなく打死ス、其時畠山殿留守方はかなくもしやうへひた, くれこもるを、吉良殿かたより引いたしきられ候、國分はきら方ヲいたし, たれニて、夜ひそかに卅人馬ニくつわをまき候て、しほかたの内ちんニか, うへは、六十六郷一時ニやふれはてぬ、かの白ひやうもはたかニせられて、, か一人もち給ふ、かの母中野といふ所ニ住居ス、然は留守殿腹を切られ候, 生山内方の聟也、二年まへに白拍子わき二人ニて留守殿在城こまさきへ, 之内岩切ニたちこもり給ふニ、吉良殿うちほこり給ふ畠山殿留守一族ニ, 吉田と申人をたのみ給ふ間、夜中ニ及てくそくし奉、遠江守家助, へ門ヲた〻き、吉田か參候と被申候間、無難きとをひらき候處、畠山殿御供, たけなかかみニてうしろまへヲかくし、若子ヲかくし置て、しんしやたる, 候、家助のくひはいかつちと成て天へ上候、家助は男子ヲもちたまはす、桃, 在城, 間桃生へ下り、山内方を頼むといへとも、まけ大將のかたをし給ふ人を不, ○留, 守, 守家助モ, 畠山モ留, 〓スル者, 留守家助, 共ニ殺サ, 多シ, 畠山岩切, 畠山方戰, ノ在城, ニ據ル, ル, 南朝正平六年北朝觀應二年二月十二日, 七二六

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  • ○留

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  • 守家助モ
  • 畠山モ留
  • 〓スル者
  • 留守家助
  • 共ニ殺サ
  • 多シ
  • 畠山岩切
  • 畠山方戰
  • ノ在城
  • ニ據ル

  • 南朝正平六年北朝觀應二年二月十二日

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  • 七二六

注記 (31)

  • 1863,668,79,2214大崎御下以前、きら畠山殿の國あらそいの弓矢たへす、ある時畠山殿宮城
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