『大日本史料』 11編 14 天正13年3月 p.395

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まれと被申内に、はや九藏つきたをされ候を見て、少兵衞進出鑓を合、上坂九郎左衞, うちおのれか差物をも刀をも拔すて、後敵の具足を著し、刀脇指をさし、羽織にて首, く歸り鹽成か、少兵衞は, の備黒み申候、加州勢山崎少兵衞與力七八間拔、鷲津九藏と名乘て鑓をうち合候を、, ためらるゝ所にてなし、能時分に高名さすへきと被仰候、徳山五兵衞, 山崎見物して不助す、山崎内の者申は、九藏討死可仕候、御すけ候へと申、少兵衞た, 門鑓を合、足輕のものに細井彌左衞門と申者、鐵炮にて上坂か相手の鑓をたゝき落し、, 飛懸くみうちに鑓下の高名仕、此首尾、組といなや下のひきみへころひ落、終に敵を, 合の山の出崎に御備候、御前には齋藤刑部・徳山五兵衞、其外罷在候、利家公もはや, のさし物、馬印は油しめやいちを付申候にて追出申、利家公は少兵衞出たるは、はや, 被申は只今鑓合申と相見て、地煙立候と被申候、懸處、近邊の敵城より馳合し故、敵, 勝と被仰候處、若き侍ともはや懸らんと仕候を、殊外御叱り被成、あの體は味方足を, 何方に居申候哉と被仰候處、白羽織に鳥毛の棒, と見へ候處に、近々と引請、大將久瀬但馬守其外名有武士四五百計、門を開き〓て出、, 利長公御人數、右之衆に追立られ、少々□まくれ候やうに御座候、利家公御旗本御横, ○末森記「少」ヲ, 「庄」ニ作ル, ○同上書「徳山五兵, 衞入道」ニ作ル, 山崎少兵衞, 天正十三年四月八日, 三九五

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  • ○末森記「少」ヲ
  • 「庄」ニ作ル
  • ○同上書「徳山五兵
  • 衞入道」ニ作ル

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  • 山崎少兵衞

  • 天正十三年四月八日

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  • 三九五

注記 (22)

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