『大日本史料』 11編 17 天正13年7月 p.219

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にあたりて城か原といふ所あり、時々武器類の折れ腐りたるものを鑿出す、又石岡社私, たりに足輕町と稱る地あり、高尾城の卒伍共の組屋敷の跡なるへし、, さかしけれは、唯亂世の楯籠り場所にて、平居は前に見へたる里城の邊に住たるなるへ, 城跡の形氷見村より望めは上に平地ある様にも見へす、登りて見れは左に圖せるか如く, 是侍大將之居處也とあり、此處よりも腐りたる金鐵出る事ありと云、又今の年貢藏のあ, し墓表也、又馬塚と題せしも其下にあり、此邊總て難戰苦鬪の地と見へたり、又少し東, 東西十六間・南北二十間、上の平の内、別に小高く段をなしたる所あり、物見の臺なと, 建たりし處なるへし、此城南を後とし北を前とするに似たり、其後なる方にあたりて空, 隍ともいふへきもの三處にあり、城地隘しといへ共崛疆の要害なり、水の手遠く路蹊も, 面の文字足さるに似たり、傍に忠士萬靈と題せし自然石の碑あり、從死の諸士を合葬せ, 石碑には右之通計りなれ共、村方より之差出帳には慈光院殿眞岸道圓大居士とあり、碑, し、, 記、當山之西尾上日陣尾、天正兵亂時鑓合之所也、中谷口曰搦手口、亦丸山一段高處有、, 〓略三段の平あり、下の平東西七間・南北四間、中の平東西七間・南北十二間、上の平, ○圖略, ス、, 天正十三年七月十七日, 二一九, 平立

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  • ○圖略
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  • 天正十三年七月十七日

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  • 二一九
  • 平立

注記 (19)

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