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原書薄杉原竪紙云々、, 〔加能越古文叢〕, て此地は近く高岡へ屬せり、, 平敷浦とよめる名所は、右相浦の地なるへし、又狩野は、同郡阿努の庄内なる加納村に, 村此三ケ村之惣名相浦村と申由申傳候、村名之由來は相知不申とあり、按に、萬葉集に, 當郡の内相浦と申所、狩野なと相違有間敷と載られし相浦は、射水郡南條保朴木・萬, 尾・中谷内三ケ村の舊名也、元祿十五年ノ郷村名義抄に、昔年朴木村・萬尾村・中谷内, 按ニ、安右入は越中國射水郡阿尾城主菊池右衞門入道の略稱なり、, 即ち村井と胥議し、公へ獻状す、公之を許諾す、, のもとへ密使を以て、公へ降り奉仕せんことを囑付す、景政, 右拾遺温故雜帖載之、, 左衞門景政, 其の男伊豆安信, より、富田治部, す、酒蘭にして、菊池曾て上杉謙信より賜はる所の短刀を成政に獻じ、〓に謙信の勇敢を賞す、成政是を怒る、因, 景周の祖、越後守の, 丁、時賜四千石、, 此の一節は創業記・七國志を以て書す、一説、菊, 四十○上略、菊池文書所收七月四日, 池父子、成政に恨ある旨を村井傳聞し、家臣小, 譜に實名, 附前田利家覺、上ニ收ム, 子伊豆は慶長元年先父病死す、其の家督の論有りしより、右衞, を闕く、, 門入道は城州紫野へ退隱す、今の大學家は伊豆よりの系なり、, 且今年七月四日、公より菊池右衞門入道へ賜はる書中にも、委細は從富田可申とあり、其の文年譜に詳かなり、, つて菊池成政に背き、公に降ると云ふ、今此の書の本文に擧ぐる處、菊池家傳と景周家譜と吻合するを以て取之、, 林・屋後を以て菊池を引くに、菊池誓書を獻じて降るとあり、又一説、成政櫻馬場にて遊宴をなし、諸士の戰勞を謝, す、酒闌にして、菊池曾て上杉謙信より賜はる所の短刀を成政に獻じ、〓に謙信の勇敢を賞す、成政是を怒る、因, 四十, リテ利家ニ, 菊池安信富, 田景政ニヨ, ニ隱ル, 降ルトノ説, 武勝大徳寺, 相浦, 狩野, 天正十三年七月二十八日, 四一五
割注
- 景周の祖、越後守の
- 丁、時賜四千石、
- 此の一節は創業記・七國志を以て書す、一説、菊
- 四十○上略、菊池文書所收七月四日
- 池父子、成政に恨ある旨を村井傳聞し、家臣小
- 譜に實名
- 附前田利家覺、上ニ收ム
- 子伊豆は慶長元年先父病死す、其の家督の論有りしより、右衞
- を闕く、
- 門入道は城州紫野へ退隱す、今の大學家は伊豆よりの系なり、
- 且今年七月四日、公より菊池右衞門入道へ賜はる書中にも、委細は從富田可申とあり、其の文年譜に詳かなり、
- つて菊池成政に背き、公に降ると云ふ、今此の書の本文に擧ぐる處、菊池家傳と景周家譜と吻合するを以て取之、
- 林・屋後を以て菊池を引くに、菊池誓書を獻じて降るとあり、又一説、成政櫻馬場にて遊宴をなし、諸士の戰勞を謝
- す、酒闌にして、菊池曾て上杉謙信より賜はる所の短刀を成政に獻じ、〓に謙信の勇敢を賞す、成政是を怒る、因
- 四十
頭注
- リテ利家ニ
- 菊池安信富
- 田景政ニヨ
- ニ隱ル
- 降ルトノ説
- 武勝大徳寺
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- 狩野
柱
- 天正十三年七月二十八日
ノンブル
- 四一五
注記 (40)
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