『大日本史料』 11編 17 天正13年7月 p.420

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あり、長湫略譜に、今年六月、守山の神保父子、此の城を圍む、前田・片山等よく防, りて、此の城に據りし歳月は不詳、, しく其の姓名の露見せしは、菊池右衞門入道及び其の子伊豆より也、此の父子、天正十, 三年四月富田治部左衞門景政へ密使を遣はし、城を我が國祖に獻じ、公即ち前田宗兵, 衞・片山内膳・高畠九藏・小塚權太夫・長田權右衞門をして守らしむ、其の兵千餘人と, 池右衞門入道次男播磨死後、慶長三年瑞龍公被召出、播磨跡相續被仰付、播磨遺知千, ぎ、且村井長頼援けて、敵首八十三を斬り取ると云ふ、此の後青山佐渡此の城を守ると, 〔越登賀三州志〕, 云ふ説あれども、青山譜には見えず、, 右は爲參考記載之、, 石九右衞門え賜之、寛永八年病死、, 菊池氏の初めて越中に來, 其の阿尾城主として正, 阿尾, 城と云ふは此の阿尾か、其の辨は前條飯久保の下に註す、, 天正十三年七月二十八日・二十九日, 故墟, 在八代庄阿尾村領、書英遠正字也、見萬葉集十八卷、山城也、本丸長四十, 按ずるに、日本史曁び菊池軍記にも不載、菊池の後孫今の, 考一, ある者、可考、猶菊池氏愚考の委曲は、本記天正十三年に記すなれば、之と可併見、, 見郡(此解在越中來因卷)の内、屋代一家分并に十ケ年以來新知行の事不可有相違と, 大學に問へども傳記なし、然れども北越軍談明應二年に、, 保城ノ別名ナルコトヲ指ス, 菊池を載せ、七國志に天文・永祿中菊池伊豆守武勝、同清十郎安信、越中に住すとあれば、其の頃より越中に在る, ○南條氷見岩崎磯部、皆飯久, ならん、大學家藏の信長公より屋代十郎左衞門と菊池右衞門入道へ天正八年三月十六日賜はる朱印の書に、越中氷, 間、幅十五間、有敵樓跡、二丸縱四十間、横二十三間、東南海岸、西北平地, にて海面より城地高きこと十七丈、麓より五町、今は鋤きて爲陸田、世本に氷見, 〓きて爲陸田、世本に氷, (マヽ), 城と云ふは此の阿尾か、其の辨は前條飯久保の下に註す、, 阿尾城, 四二〇

割注

  • 故墟
  • 在八代庄阿尾村領、書英遠正字也、見萬葉集十八卷、山城也、本丸長四十
  • 按ずるに、日本史曁び菊池軍記にも不載、菊池の後孫今の
  • 考一
  • ある者、可考、猶菊池氏愚考の委曲は、本記天正十三年に記すなれば、之と可併見、
  • 見郡(此解在越中來因卷)の内、屋代一家分并に十ケ年以來新知行の事不可有相違と
  • 大學に問へども傳記なし、然れども北越軍談明應二年に、
  • 保城ノ別名ナルコトヲ指ス
  • 菊池を載せ、七國志に天文・永祿中菊池伊豆守武勝、同清十郎安信、越中に住すとあれば、其の頃より越中に在る
  • ○南條氷見岩崎磯部、皆飯久
  • ならん、大學家藏の信長公より屋代十郎左衞門と菊池右衞門入道へ天正八年三月十六日賜はる朱印の書に、越中氷
  • 間、幅十五間、有敵樓跡、二丸縱四十間、横二十三間、東南海岸、西北平地
  • にて海面より城地高きこと十七丈、麓より五町、今は鋤きて爲陸田、世本に氷見
  • 〓きて爲陸田、世本に氷
  • (マヽ)
  • 城と云ふは此の阿尾か、其の辨は前條飯久保の下に註す、

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  • 阿尾城

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  • 四二〇

注記 (34)

  • 456,677,58,2252あり、長湫略譜に、今年六月、守山の神保父子、此の城を圍む、前田・片山等よく防
  • 1203,676,56,1033りて、此の城に據りし歳月は不詳、
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