『大日本史料』 11編 19 天正13年閏8月 p.223

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能登國の奧に寢屋といふ嶋あり、其嶋には河原の石のあるやうに鮑の多く有けれは、, 按に、光浦の海士共藤原通宗朝臣といふ能登國守任畢の年、海士共越後へ逃行、光, 類從に載たる氣多宮歌合なとこて考るに、後三條天皇の御代頃の事なれは、いと往, 其國の光嶋と云浦に住む海人共は、彼嶋に渡て鮑を取て國司に辨シける、光浦より, 按に光浦は輪嶋浦の繼きなる海邊にありて、ヒカリ村と呼へり、舊本今昔物語に、, ヲ賜ル、然ルニ其後慶安二己巳年十月十六日、輪嶋鳳至町ノ地内千歩程ノ地ヲ賜リ、, 鬼ノ寢屋嶋へ一日一夜走て人行けると云々、今おもふに右今昔物語の傳説は、群書, 此地ニ移轉ス、此時〓地トシテ嶋田勘右衞門・古澤加兵衞其外、見分ノ吏トシテ數, 嶋といふは今云舳倉嶋なる事いちしるし、能登路記に、光浦の濱山際に海士の古屋, 〓倉嶋・七ツ嶋へ渡リ漁業ス、依テ寛永二十癸未年、舳倉嶋・七ツ嶋運上ノ御印書, 敷といふ地あり、此地は輪嶋海士のはしめ居住したる處なりといひ傳へりと、平次, 古より光浦に海士居住して彼嶋へ渡り、蚫を漁業なしたる事知られける、鬼ノ寢屋, 名出張セラレ、地所引渡サル云々、, 衞ナル者ハ本國ニ於テ由緒アル者ナレハ、居邸等作事命セラレ、一同光浦ニ居住シ、, 天正十三年閏八月十三日, 越後ニ逃去, 海士ノ古屋, 光浦ノ海士, ルトノ説, 光浦ノ由來, 敷, 天正十三年閏八月十三日, 二二三

頭注

  • 越後ニ逃去
  • 海士ノ古屋
  • 光浦ノ海士
  • ルトノ説
  • 光浦ノ由來

  • 天正十三年閏八月十三日

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  • 二二三

注記 (23)

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