『大日本史料』 11編 19 天正13年閏8月 p.224

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り、是も前顯輪嶋海士町の海士共の如く、そのかみ若狹國小濱・高濱の者來て漁業, 浦の海人一人もなく、彼嶋に渡り鮑取る事絶たりと見えたれは、其後筑前金ケ崎の, 師共鯖獵之毎歳罷越、大念寺村之濱ニ寛永八年より居屋鋪被下、家相建居住仕、大, し助左衞門・助五郎、及ひ羽昨郡福野村の長三郎三人申合、大念寺村の捨濱を見立、, 村と、鹿嶋郡七尾の府中村と也、右大念寺村の近邑に大念寺新村といふあり、此村, は俗に出村と稱シ、近く明治廿年六月高濱町と改稱す、此地は今此地邊にて繋昌母, むかしより毎年羽昨郡大嶋浦へ渡來シ、漁業をなしけるに、海獵多りし故に、國恩、, をおもひ此邊りに永く居住して、國民となり度との事にて、若州よりその頃渡來せ, をなし、初て建たる村落也、元祿十五年ノ郷村名義抄に、大念寺新村先年若州之獵, 海士十三人、再ひ光浦に居住し、彼嶋へ渡り漁業なしたりけむ、, 念寺新村と唱申由と載たり、今持傳へる古文書共を考るに、若狹國小濱・高濱の者、, 此地に家建して永く居住仕度よし出願せしに、中納言利常卿の時にて、寛永九年十, 一、又大念寺・府中ニ有之藏共云々と載給へる大念寺は、羽咋郡堀松の庄内なる大念〓, 一月許可相成、翌年の春地面打渡され、初て家十三戸相建、妻子等引越居住す、承, 天正十三年閏八月十三日, 士ノ建ル村, 大念寺, ハ若狹ノ海, 大念寺新村, ナリ, 天正十三年閏八月十三日, 二二四

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  • 士ノ建ル村
  • 大念寺
  • ハ若狹ノ海
  • 大念寺新村
  • ナリ

  • 天正十三年閏八月十三日

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  • 二二四

注記 (22)

  • 1171,847,66,2124り、是も前顯輪嶋海士町の海士共の如く、そのかみ若狹國小濱・高濱の者來て漁業
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