『大日本史料』 11編 22 天正13年11月21日 p.230

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て參候とて、兩方へ馬をのりわかれ、人とり橋むかひへてきを追ちらし、かちときを, とりおこなひたる、との給ふ、其時めされたる御よろい、後にみれは、中たてあけの, 御すねあてに玉きす一ケ所、くらの前わをかすり御腹に一ケ所、御かたに玉そへりた, る跡一ケ所、御甲の左のわき小筋二けんすりやにあたり、後まてさねよき御武具なり, 山、田村領なり、佐竹の軍勢は窪田に陣を取、蘆名軍勢は福原に屯を張る、政宗・清顯, 大事の合戰と思はれ、高倉警固に政宗より多塚近江・桑折攝津・伊藤肥前、本宮え瀬上, 、東奧中村記〕四伊逹政宗相馬義胤初而對顏之事, らる、須賀川の須田伯耆・石川大和守昭光、田村の旗下也けるか、此序を幸ひに身を持, 宣、會津の蘆名氏と一味して、天正十二年十一月十日、須賀川へ勢を出し、安積表え働, かへんとす、白川義近・岩城常隆も一和せりと聞ゆ、其頃篠川・日出ノ山・小荒田・郡, 中務・中島伊勢・濱田伊豆・櫻田右衞門、玉の井え白石若狹を指越、政宗も小濱より本, かゝりし處に、二本松籠城を救はんとて、佐竹義重嫡男義, とて御ひそう被成候、古雪下彦七かきたいたる也、御他界以後御病所に入也、, 天正十三年十一月十七日, ○上略、政宗、二本松城ヲ攻ムルコト, ニカヽル、十月十五日ノ條ニ收ム、, 附輝宗生害一一, 本松落城之事, 治家記録, 事ナシ、, ○伊達当, 附録一異, 政宗ノ甲冑, ニ彈痕多シ, 二三〇

割注

  • ○上略、政宗、二本松城ヲ攻ムルコト
  • ニカヽル、十月十五日ノ條ニ收ム、
  • 附輝宗生害一一
  • 本松落城之事
  • 治家記録
  • 事ナシ、
  • ○伊達当
  • 附録一異

頭注

  • 政宗ノ甲冑
  • ニ彈痕多シ

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  • 二三〇

注記 (25)

  • 1811,660,57,2181て參候とて、兩方へ馬をのりわかれ、人とり橋むかひへてきを追ちらし、かちときを
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