『大日本史料』 12編 1 慶長八年二月~同九年二月 p.480

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本田佐渡守殿、秀家公、駿河久野に御座被爲成候へ, に候故、備前中納言殿内方は、加賀へ被遣候、中納言殿一人は、進藤三右衞門, はからいにて、薩摩へ下し申候か、御息二人ハ、何として御下候や、子細を承, らぬものもおほし、家康公御仕置者、大に御座候て、せわしなくこまかなる, もいりなり、此時利家ハ御果候へとも、後の肥前守、大聖寺をせめ、忠節の人, き時代にて候へは、中納言殿、さつまへ行かれ候なとゝ申ものもあり、又し, 色々名物共候つる、中納言殿内方者、加賀大納言利家息女なり、秀吉公御き, しない、關原よりは一身にて候か、薩摩に御座候時、何とそ御とりよせ候か, 候はゝ、慥しれ可申事に候へとも、此時分者物毎に大にて、せはしなくもな, 事はなし、中納言殿は、正保年中まては存命之由、嫡子は死去と、八丈ゟ來候, ものかたり候, 子、乳母一人、下田ちかき所に一年計滯在、此時つなみに御あい、名物共御う, 爲成御座、方々御〓り、其已後遠島、八條島江流罪由也、, と被仰、駿河江御下り、緩々と御滯留被遊候由也、其外關東に而も、緩々と被, 〔難波經之舊記)〕, 盛香集, 浮田中納言秀家卿、關ケ原敗北以後、御當家を御頼, ○前後, 略ス、, ○備, 前, 二○舊典, 類聚九所收, 衞門, 進藤三右, 秀家ノ妻, ノ評, 家康政治, 慶長八年九月二日, 四八〇

割注

  • ○前後
  • 略ス、
  • ○備
  • 二○舊典
  • 類聚九所收

頭注

  • 衞門
  • 進藤三右
  • 秀家ノ妻
  • ノ評
  • 家康政治

  • 慶長八年九月二日

ノンブル

  • 四八〇

注記 (30)

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