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は、木下若狹少將豐臣勝俊息女を乞請被進、勝俊は靈山の長嘯子事也、慶長, て、信吉卿と號しける、常州水戸廿八萬石を進せらる、然れ共、御病身にて、無, て御母方と稱せられ、武田を稱號し給、御諱も、武田家代々實字、信の字を以, か養女として、神君に筮仕す、依之枕席に直衣して、萬千代君を儲け給ふ、仍, 位無官にして、御歳廿壹にて、終に慶長八年九月十一日早世し給ふ、御内室, 究りて、江戸を出府の事、色々被仰遣と云へ共、一首の歌を以て心底を申し, 五庚子年七月晦日、城州伏見城を逃出し、嵯峨に隱遁し給ふ、信吉君の舅に, 佐竹氏墟、爲水戸城主、明年九月、病濕瘡早世、無嗣、國人奉台命葬此地、, 連村常福寺、信吉神祖第五男、母甲斐國主武田氏女也、平將軍信長、滅甲斐國、, て、終に不被出、其後靈山へ退隱して、長く風雲に嘯く、此歌の意味存知入て, 院殿と申し奉る、是は甲州の穴山越前守虎康女、穴山陸奧守信之入道梅雪, 武田氏絶後嗣、神祖命信吉冒母家氏、爲武田氏奉其祠、慶長七年十一月、封於, 武田信吉墓、在茨木郡水戸城西北那珂郡瓜, 〔武家禁祕録〕八武田萬千代君の母公下山殿と云けるハ、御老年後、長慶, 甚御感心あり、, 古今類聚常陸國誌〕, 〔古今類聚常陸國誌〕軸基武田信吉墓、在茨木郡水戸城西北那珂郡瓜, 關墓, 中, 下山殿, 信吉ノ妻, 信吉ノ母, 木下氏, 木下長嘯, 信吉ノ墓, 子, 慶長八年九月十一日, 五三六
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- 關墓
- 中
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- 下山殿
- 信吉ノ妻
- 信吉ノ母
- 木下氏
- 木下長嘯
- 信吉ノ墓
- 子
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- 慶長八年九月十一日
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- 五三六
注記 (28)
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