『大日本史料』 12編 39 元和七年十一月~同年十二月 p.315

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織田長純・同芝區新堀町織田秀實の二氏より、多少の香資を供へらるゝ事となりあれば、永, するに由り、是非とも何れへか移轉ありたしと交渉し居たるも、同院の住職眞神淨遠師は、, 源正傳院にては、此の墓地を最も大切に管理し居る折柄、此の程大谷の代理吉本猶次郎氏, 一個人の借家を建築するため墓地の移轉を申し込まるゝとも、應じ難しとて跳ねつけ、一, 遐公に嫁す)紹〓居士等、都合五基の墓碑あり、何れも(高さ一丈五六尺の大碑石)永源正傳, 然たる舊墓地を、漫りに他に移轉し得べきものにあらずとて應ぜず、打捨て置きたるに、二, が同院に來り、同墓地全部を他へ移轉されたき旨の交渉を爲したるも、同院にては、斯る歴, 院に於て管理し、毎年十二月十三日、有樂忌を修して、織田家の末商なる東京小石川區表町, 三日前より更に吉田佐吉氏が、大谷の代理となりて同院に來り、移轉費は何程にても支出, 方にては、是非とも移轉せしめんとて、熱心に交渉中なりと、, 此處には有樂齋の外、有樂齋の室(平政秀の女)・織田長好・北政所(織田頼長の女、一條關白兼, 三四町ほとの芝生、春はつみ艸、夏は池邊の晩凉を賞し、築山のかたちのこり、ことに柳・櫻・, 賣渡したれど、茲に最も困難なるは、同館の地域に、袋地となりある四十一坪餘の墓地にて、, 丁目・三丁目の所なりといふ、慶長のころ、織田有樂やしきに下されしか、後明地となりて、, 煙江戸砂子温故名蹟誌〕一有樂原すきやはし御門外、廣小路より元すきや町二, }, 校, 校〓, 有樂忌, 墓地移轉問, 江戸有樂原, 題, 元和七年十二月十三日, 三一五

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  • 有樂忌
  • 墓地移轉問
  • 江戸有樂原

  • 元和七年十二月十三日

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  • 三一五

注記 (24)

  • 1391,623,70,2217織田長純・同芝區新堀町織田秀實の二氏より、多少の香資を供へらるゝ事となりあれば、永
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