『大日本史料』 6編 17 文和元年9月~文和2年3月 p.195

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て發向し、攻落したるにてあるへくおもはるゝなり、, よしなし、いとなけかはしく、口惜しきことれりかし、, 太郎左衞門尉種本と云ふものあり、, 長は本郷に居る, へたれとも、菊池家の文書共、ちり失て傳はらねは、武光か功績の跡、考るに, の將軍方、おほくは武光に攻られて、宮方に參るもの、おにかりしさたに見, 〔長門國舊族誌〕豐田氏後醍醐天皇の御宇に至り伊賀守種長、, 觀應三年壬辰十月十八日卒、, 此比武光か武威、やうやうにつよくなりて、九國, 胤藤, 日の六字を殘をり、寺傳此佛像を伊賀守の守本尊となりと云ふ、また系圖, てそ有らん、しかるを、直冬朝臣、菊池に頼れしほとに、武光海を越て、長門ま, 參河守, 種, 〓九墓こ文1一〓古正り背一村i, 三〓れ字文で古城寺て一ノー, 南朝正平七年北朝文和元年十一月十二日, べし、また同寺の藥師佛の臺に文字あり、これも消滅して纔に文永九三月, p永のり1左沒寺を長〓のと敷, 圖月るを數字墓墓跡城今ノ瀬ノ種, 直冬ノ請ヲ許シ、一色ヲ攻, 文ニ依レバ、菊池氏, 此説誤ナリ、園太〓, 藤は種藤の謬なるへし、, メテ利アリシヲイフナリ, 太平記天正本、按るに胤, 、瀬にのりとあり、土人にとへは、本郷村の中殿敷と一ノ瀬, 系圖、防長兩國古城跡記に豐田城は豐浦郡殿敷村一ノ, 記には殿敷村, 古文, 〓の間に高熊といふ處〓り、其高熊の山を城山なりと云ふ、其山の背一, にありとす、, 〓り、地輪石土中に埋沒しで墓, 〓りと見ゆれ共〓滅をり、右に觀應三年壬辰十月十八日、また下に文字, 書, 系圖、一ノ瀬村長願寺に古墓, 〓なり、此山に並て滿願寺山、東山寺山といふ山〓り、古ヘ皆大刹のりて〓, 石地上に出る處長九尺なり、横四尺五寸、厚八寸にて中央に梵字、左に文字, 系圖、, に礎石廢瓦の類多く、古墓碑また燈籠ものりと云ふ、また西市に長正寺〓, 圖, といふ古跡のり、土人とも豐田某の居城なりしと云ふ、長正寺城を古城跡, 系, 行を彫る、されと滅して道の字あり、其次の行大施主良格とのり、これを, 種長の墓なりと云ふ、系圖に墓長願寺に在とのれは、決なく種長の墓なる, べし、また同寺の藥師佛の臺に文字〓り、これも消滅して纔に文永九三月, りて〓良日央土瀬長いヘ云の豐, 豐田城, 豐田種長, 種長歿ス, 一九五

割注

  • 直冬ノ請ヲ許シ、一色ヲ攻
  • 文ニ依レバ、菊池氏
  • 此説誤ナリ、園太〓
  • 藤は種藤の謬なるへし、
  • メテ利アリシヲイフナリ
  • 太平記天正本、按るに胤
  • 、瀬にのりとあり、土人にとへは、本郷村の中殿敷と一ノ瀬
  • 系圖、防長兩國古城跡記に豐田城は豐浦郡殿敷村一ノ
  • 記には殿敷村
  • 古文
  • 〓の間に高熊といふ處〓り、其高熊の山を城山なりと云ふ、其山の背一
  • にありとす、
  • 〓り、地輪石土中に埋沒しで墓
  • 〓りと見ゆれ共〓滅をり、右に觀應三年壬辰十月十八日、また下に文字
  • 系圖、一ノ瀬村長願寺に古墓
  • 〓なり、此山に並て滿願寺山、東山寺山といふ山〓り、古ヘ皆大刹のりて〓
  • 石地上に出る處長九尺なり、横四尺五寸、厚八寸にて中央に梵字、左に文字
  • 系圖、
  • に礎石廢瓦の類多く、古墓碑また燈籠ものりと云ふ、また西市に長正寺〓
  • といふ古跡のり、土人とも豐田某の居城なりしと云ふ、長正寺城を古城跡
  • 行を彫る、されと滅して道の字あり、其次の行大施主良格とのり、これを
  • 種長の墓なりと云ふ、系圖に墓長願寺に在とのれは、決なく種長の墓なる
  • べし、また同寺の藥師佛の臺に文字〓り、これも消滅して纔に文永九三月
  • りて〓良日央土瀬長いヘ云の豐

頭注

  • 豐田城
  • 豐田種長
  • 種長歿ス

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  • 一九五

注記 (51)

  • 1811,654,60,1624て發向し、攻落したるにてあるへくおもはるゝなり、
  • 1345,654,57,1591よしなし、いとなけかはしく、口惜しきことれりかし、
  • 1106,1587,57,1085太郎左衞門尉種本と云ふものあり、
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