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八日、御黒印を下さる、, 又伏見にいたり、, て流浪す、のち片桐且元について、東照宮にこひたてまつり、豐臣秀頼に, 城を賜はりて住す、慶長二年五月六日、かの地にをいて死す、, つかへ、讚岐國のうちにをいて釆地をたまひ、すてにして、讚岐國を生駒, 讚岐守一正に賜ふかゆへ、また且元をもつてこひたてまつりしかは、備, 重次父重政死するのとき、重次幼稚なるかゆへ、その家を繼事を得すし, 中國小田郡のうちにをいて、三百石の地をたまひ、慶長十七年九月二十, 幕府、故井伊直政ノ第二子直孝ヲ召シテ、秀忠ニ仕ヘシム、, を受奉りぬ、山の繪圖の表、一々御尤思召之間、應に金龜山に城を築き、其上, 赤松義祐, 重政初め森を稱す、織田右府に屬し、のち豐臣太閤につかへ、豐後國木付, 毛利重政, 重次, 〔木俣土佐紀年自記〕慶長八年癸卯、守勝, 上意, 右近大夫、若年病身、旁當に此城を以、其方居城と存是を守護せよ、其時守勝, 〔寛政重修諸家譜〕, 慶長五年十ノ一、石田一味滅亡, 諸系圖, 兵部少輔、上總介、作州久米郡, 兵橘、豐後守, 從五位下、, 原田村新庄山城主, 兵橘、, ○木俣, 虎丸、, 六百二, 土佐, 刑部少輔、上總, ○中, 略, 二十, 十九, 介、從五下、, 則房, 三, 慶長八年是歳, 七九二
割注
- 兵部少輔、上總介、作州久米郡
- 兵橘、豐後守
- 從五位下、
- 原田村新庄山城主
- 兵橘、
- ○木俣
- 虎丸、
- 六百二
- 土佐
- 刑部少輔、上總
- ○中
- 略
- 二十
- 十九
- 介、從五下、
- 則房
- 三
柱
- 慶長八年是歳
ノンブル
- 七九二
注記 (39)
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