『大日本史料』 12編 1 慶長八年二月~同九年二月 p.819

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大權現とて、則此地の鎭守也、腹に當りし處に、龍腹寺と云禪寺有、尾のこと, に戸田又右衞門、此兩人ハ志摩守甥也、三番高畠忠兵衞と云侍也、此高畠は, く成る所を、まかり崎といふ也、惣迴り三里餘有て、四方皆海なり、東北は六, す、其次は廣々として町家五六丁餘、相應に畑有り、其西北は山谷有、又飛龍, へ、夫ゟ此處を富岡と名を替へ、番代を居置れけり、一番は寺澤熊之助、二番, 志摩守の子息と、島津薩摩守の息女縁の約束有、薩州ゟ伊勢平左衞門と云, 皆深田なり、其中に究竟の丸山有しを、本丸にして城を築き、其要害稠鋪構, 合て拾貳萬石と云也、, そ唐津八萬三千石と、天草三萬七千石, 七里海を隔て、高來郡の地にて、千々石灘早崎とて、西國第一の荒潮の海也, 前に僅の湊有、南西ハ大灘にて、むかふに見ゆる山もなし、大木茂り、谷底は, をねせたる形なれは、袋浦とは云也、辰巳の方ゟ入口あり、横幅壹町にたら, に新城を建ぬ、此袋浦と申は、天草の西の端、島の〓く成處に而、口結たる袋, 唐津と天草は、海上七拾里餘隔りたる領地なれは、翌慶長九年、袋浦と云所, 慶長九甲辰年、富岡に新城を築て、番代をかりわり〳〵置しと也、或書云、, 天草は、慶長八年ゟ、肥前國唐津之城主寺澤志摩守殿江添地に渡る、〓こ, 桑、茶、鹽竈、綱の, 高を引高歟, の四, 一本, 記, 郎, 富岡ノ地, 勢, 高畠忠兵, 富岡城番, 代, 衞, 慶長八年是歳, 八一九

割注

  • 桑、茶、鹽竈、綱の
  • 高を引高歟
  • の四
  • 一本

頭注

  • 富岡ノ地
  • 高畠忠兵
  • 富岡城番

  • 慶長八年是歳

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  • 八一九

注記 (30)

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