『大日本史料』 12編 8 慶長十六年三月~同年十月 p.403

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ために書記すなり、關原合戰の明る年、八代の城普請仕る時、自身八代へ, 物に被出候、又、溝尾九郎兵衞と云侍に、比類なき諷の上手、家來の者に有, 云太夫、兩人扶持しをき、小皷打に庄田與右衞門と云て、天下に名を得た, にても、五番三番宛きはやし有之し也、其證據には、靱負と申太夫、信佐と, て、諸侍共、大形溝尾が弟子になり、諷たる也、又、本書に、太刀をとれば人を, に沙汰有たる者共なる故に名を記す、此外藝者共、大勢抱置けるに、高三, 有て、六月祗園會、八月放生會に、毎年、兩太夫能五番宛いたし候に、數度見, 行、普請申付られ候内に、用有て熊本へ歸城有し、跡に殘しをろれたる子, きらんと思、然らば萬事は一心の置所より生る物にて候間、武藝の外、亂, る上手有、稻邊伊右衞門と云脇、宇野宇右衞門と云太皷打、これらは世間, し、右に記す通、亂舞いたしたる侍の切腹仕たる事、終に不承候、第一慈悲, ふかき大將にておはしたり、事長〳〵しけれ共、本書の相違を云延んが, 千石知行出し給ふ事也、又、町に本座新座と云て、太夫役者共に分て、兩座, 舞稽古の輩、切腹をくはふへき事と有、清正ケ樣の法度申仁にて曾以な, にて、毎年能有て、諸人見物仕けり、家中へも、振舞の節は、役者呼候て、何方, 慶長十六年六月二十四日, 慈悲深き, 大將, 慶長十六年六月二十四日, 四〇三

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  • 慈悲深き
  • 大將

  • 慶長十六年六月二十四日

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  • 四〇三

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