『大日本史料』 12編 1 慶長八年二月~同九年二月 p.820

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も腹を切、骸は柳浦に捨けれとも、主に忠有る侍と、名は末代に殘しけり、四, 使番唐津に來る、其歸りを馳走のため、天草之内、柳浦に新造に茶屋を建て, 轉せり、六番に中村藤左衞門、此侍は寺澤の家の子にて、洞齋と名を改め、志, 是なり、其忠孝によつて、子を即藤左衞門と名付けり、, せ堪忍ならぬと、走りかゝりて平左衞門を切伏、止ゝめをさし押寄、忠兵衞, 番に川村四郎右衞門、是も譽の侍也、五番には關主水、此主水若年の時は、兵, 摩守の惣領式部死去の後、龍腹寺にて追腹切、戒名は端林如雪と殘せしは, 轉はせ、難澁のやからは、樣々に罰しけれは、天草中の切支丹は時の間に退, 道場を打潰し、ばてれん、いるまん追返し、隨逐の者共逐一に吟味して、悉く, 守父子の事、たはけ者、破家者と散々に惡口す、忠兵衞聞て、主人の事惡口さ, 家彦之進とて、元龜天正の大亂にも、諸大名の手に屬し、所々の軍陣にかけ, 平左衞門を待合、舟ゟ揚け、忠兵衞挨拶をせしに、彼平左衞門醉狂にや、志摩, 入、高名を極め、七本鑓と云れたる侍也、切支丹の御制禁、此砌の事なれは、彼, ○本條ノ事、天草由來記ニハ八年トシ、天草備考ニハ九年トセリ、寛政, 重修諸家譜、寺澤ノ條ニハ、本條ノコト所見ナシ、今姑ク天草由來記ニ, 切支丹制, 禁, 慶長八年是歳, 八二〇

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  • 切支丹制

  • 慶長八年是歳

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  • 八二〇

注記 (19)

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