『大日本史料』 12編 1 慶長八年二月~同九年二月 p.904

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此當家條々者、爲後代少々注之、則梶井宮, 上人みな難儀の體也、しかる處に、通仙院江色々おほせ出され、御藥調進あ, のりのやうも、かさねて又御尋有、其御返事申上也、并親王御方も、少御つゝ, りて、三日目少御驗氣あり、連々御養生ありて、御本腹めてたき御事共也、其, 時、宗恕きとくを申上候よし仰ありて、御兩御方樣御褒美共有て、忝次第也、, の御不例也、醫者御藥とも調進申といへとも、少も御驗氣御座なし、公卿殿, 文祿三年四月十六日, 右條々、爲子孫注之者也、, 被相副御書、被下之候時、眉目何加之、爲子孫努々不可聊爾者也、, 右一卷者、依大和三位所望、染愚筆、不可有他見者也、, しみ〓るよし申て、六日目大御所樣俄に大事に御惱あり、御無言にて以外, 尊悟判, 文禄三年四月十六日沙彌宗恕判, 沙彌宗恕判, 三位入道, 大和三位入道宗恕, =二日、〓女御近衞氏、近衞信尹ノ第ニ行啓シ給フ, 備上覽之處有御感、染御筆, 于時, 蜻庵, 慶長九年正月十二日, 九〇四, 十二日

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  • 于時
  • 蜻庵

  • 慶長九年正月十二日

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  • 九〇四
  • 十二日

注記 (23)

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