『大日本史料』 12編 3 慶長十年三月~同十一年三月 p.647

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者共は、貳百人を徒同心の格に被召抱、是今の伊賀衆の先祖なり、伊賀の歴, 番相勤、御上洛之節者、國々御殿番、并に供奉仕候、大坂御歸陣以後、右兩人之, 半藏正成は、度々の武功有て、鬼半藏と稱せられ、同市郎右衞門は、姉川にて, 指置由被仰出、半藏門ゟ〓町之内拜領仕候、其以後御用地に付被召上、四ツ, 功を勵し、同源兵衞は、味方か原にて討死し、同中保正は、度々の勳功を以て、, 内、別條無御座候者、大奧御番被仰付、此者は居屋敷迄、御本城近所に可被爲, 右伊賀衆、服部半藏手に付、關東江罷下申候、大坂御陣迄は、御書院之邊に御, く參陣し、御家人と成りぬ、しのれ共柘植、宮地、米地を始て供奉せし者共、皆, 御直參として御馬迴りに召置れ、其子孫今に御番衆たり、半途より罷歸る, 谷に而拜領仕候、, 恩禄厚し、右の貳百人の伊賀の者は、則服部半藏組と成り、元來は半藏も彼, 其節立退候者服部主計、中村與兵衞、伊賀部文藏、伊熊久六郎、, 歴侍にも早く出國して今川家仕へ、權現樣へ奉仕せしむる輩もあり、服部, 〔林鐘談〕上天正十年、明智退治として尾州迄御働座の時、伊賀の處士悉, 四谷南寺町西念寺にて切腹, 西角左衞門, 右同人介錯, 右同人介錯, 西角左衞門, 介錯, 先祖, 服部正成, 伊賀衆ノ, 勤役, 伊賀衆ノ, 一族ノ武, 其居屋敷, 功, 〓慶長十年十二月二日, 六四七

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  • 右同人介錯
  • 西角左衞門
  • 介錯

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  • 先祖
  • 服部正成
  • 伊賀衆ノ
  • 勤役
  • 一族ノ武
  • 其居屋敷

  • 〓慶長十年十二月二日

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  • 六四七

注記 (30)

  • 699,626,74,2221者共は、貳百人を徒同心の格に被召抱、是今の伊賀衆の先祖なり、伊賀の歴
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