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の名所十六ケ所を附し、すこしは考へをも載たり、, 是は伊賀國に流罪なるへし、光宗弟式部丞朝行同罪、當國喰代村にて住終る、世にいふ, 平の二姓あるやうになれるにや、又市部村豐田社仲哀天皇御宇に勸請すと、伊賀記には, 是は源平の人服部を冐し、後に本姓を姓となし冐すところを氏となし、自然に服部に源, 呉服部は服部六郎時定相續し源氏なり、敢國服部は一ノ宮神事を勤族なり、源姓なりと, 式部塚是なり、兄弟ともに當國へ流罪と見えたりといへり、されともこれは臆見にして, 是は伊賀守光宗なるへし、承久三年伊賀左衞門光宗を信濃國へ流すとあり, いひて、其家紋を圖す、今案るに、服部もと一姓なれは、源平の姓あるへきやうなし、, 據にたらす、伊賀守宗光、伊賀左衞門光宗別人にてすむへきなり、又荒木村服部平内左, 載せ、風土記には仲哀天皇を祭豐田明神と稱すと載せ、相違あるよしをあく、卷末未勘, 衞門尉家長か宅地の下に、服部氏の事をしるし、漢服部は平内左衞門相續し平氏なり、, なく、いよ〳〵たしかならさる説なり、又國府の下に、伊賀守宗光といふ人の石塔あり、, に與するによる, 後鳥羽院の御事, 市部村豐田社, 服部氏ノ事, ノ事, 石塔ノ事, 伊賀守宗光ノ, 別紀第四(伊賀), 二八九
割注
- に與するによる
- 後鳥羽院の御事
頭注
- 市部村豐田社
- 服部氏ノ事
- ノ事
- 石塔ノ事
- 伊賀守宗光ノ
柱
- 別紀第四(伊賀)
ノンブル
- 二八九
注記 (21)
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