『大日本史料』 12編 3 慶長十年三月~同十一年三月 p.979

Loading…

要素

頭注ノンブル

OCR テキスト

由、同しく小木曾申候は、御入國の刻、御本丸、二の丸、三の丸と申て有之、その, 餘り土有之、獵師町近邊の蘆原の儀は、大形築地の如くになり、獵師町の儀, 築候所とては壹ケ所も無之、皆芝土居にて、土手には竹木茂りあひ有之候, 節、唯今のひびや町へ引申候由、是又小木曾申候也、又問云、御入國の節、夫迄, も、程なく一つゝきの町屋となり、肴店その外、種々の賣買物なとも有之、所, 答て曰、其儀をも太兵衞常に物語仕候は、遠山時代の城と申には、石垣なと, は、只今の内櫻田大手御門の邊より、三の御丸平川口の間に、かきあけ、土居, 御外搆の大手御門と申候は、唯今の百人御番所の御門にて候、その時代に, に、何れの所歟、已前の御堀跡にて有之候なとあつて、合點は不參候、その節, の遠山居城と申候は、いかやうの儀にて有之たると、小木曾なとは申候哉, の名をばひびや町と申、殊の外繁昌仕候處に、其以後又御曲輪内となり候, に樣子替り候に付、年若き時分、御番に上り、已前の儀を存出し、相考見申候, り、中仕切の御石垣なと出來候ては、以前の御城の面影も無之ことく、大き, 間には、餘程の深きから堀有之候を、早速御埋させ、御本丸の内、殊之外廣か, 西丸下の儀は、地高に有之候所に、西の御丸御堀なとも堀れ候に付、大分の, 遠山時代, ノ江戸城, ひびや町, 大手門, 慶長十一年三月一日, 九七九

頭注

  • 遠山時代
  • ノ江戸城
  • ひびや町
  • 大手門

  • 慶長十一年三月一日

ノンブル

  • 九七九

注記 (21)

  • 982,611,61,2201由、同しく小木曾申候は、御入國の刻、御本丸、二の丸、三の丸と申て有之、その
  • 1801,610,62,2216餘り土有之、獵師町近邊の蘆原の儀は、大形築地の如くになり、獵師町の儀
  • 1100,605,62,2217築候所とては壹ケ所も無之、皆芝土居にて、土手には竹木茂りあひ有之候
  • 1449,607,64,2219節、唯今のひびや町へ引申候由、是又小木曾申候也、又問云、御入國の節、夫迄
  • 1683,614,64,2211も、程なく一つゝきの町屋となり、肴店その外、種々の賣買物なとも有之、所
  • 1216,603,63,2215答て曰、其儀をも太兵衞常に物語仕候は、遠山時代の城と申には、石垣なと
  • 282,616,59,2197は、只今の内櫻田大手御門の邊より、三の御丸平川口の間に、かきあけ、土居
  • 398,604,60,2208御外搆の大手御門と申候は、唯今の百人御番所の御門にて候、その時代に
  • 513,611,62,2207に、何れの所歟、已前の御堀跡にて有之候なとあつて、合點は不參候、その節
  • 1332,612,63,2220の遠山居城と申候は、いかやうの儀にて有之たると、小木曾なとは申候哉
  • 1564,615,64,2213の名をばひびや町と申、殊の外繁昌仕候處に、其以後又御曲輪内となり候
  • 630,612,62,2209に樣子替り候に付、年若き時分、御番に上り、已前の儀を存出し、相考見申候
  • 748,610,59,2208り、中仕切の御石垣なと出來候ては、以前の御城の面影も無之ことく、大き
  • 865,608,60,2204間には、餘程の深きから堀有之候を、早速御埋させ、御本丸の内、殊之外廣か
  • 1917,612,64,2208西丸下の儀は、地高に有之候所に、西の御丸御堀なとも堀れ候に付、大分の
  • 1250,243,43,171遠山時代
  • 1207,247,41,167ノ江戸城
  • 1581,248,41,166ひびや町
  • 405,241,42,127大手門
  • 176,673,45,384慶長十一年三月一日
  • 178,2401,45,127九七九

類似アイテム