『大日本史料』 12編 4 慶長十一年四月~同十二年七月 p.112

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日頃に倍す、以來本多、榊原の兩將、いつも五千の大將たり、, 分別の爲に差添られ、後殿備なり、, 平岩七之助親吉、是も五千を請取、十手に備へ二段に屯し、御後を堅く守り、, 拂、眞先一番合戰を持なり、大須賀五郎左衞門康高、五千の人數請取、十手に, 本へ掛りて、勝負極の侍大將なり、惣して御旗本の兩脇備は、其時の樣子次, 備、二の味の大將なり、本多平八忠勝、五千の兵を請取、十手に備へて、右一二, 第究りなし、井伊萬千代直政、御旗本兩備にて、長久手御合戰の通りなり、且, き侍大將役儀なり、酒井左衞門尉忠次、五千の人數請取、十手に備へ、軍の露, 小平太康政、五千の兵を請取、十手に備へ、本多と同しく合戰の役、敵の後旗, 集て守る役なり、大事の弓箭に、人質預り役至極重く、尤二心の疑毛頭是な, 御當家の侍大將八人なり、大久保七郎右衞門忠世は、御分國大小の人質を, の勝負を待て、三番合戰の役、敵の旗本へ掛りて、勝負極の侍大將なり、榊原, 危ふからさる將なり、此手は少も動かさるを利とす、石川日向守家成、工夫, 是迄は、遠三駿甲信五ケ國押領せさせ給ふ、これより、本多、榊原の兩家、威勢, 半岩主計頭親吉は、寛勇の人傑にて、取分て御奉公私なき人なりと、舍弟に, ○中, 略, ノ威勢, 本多榊原, 侍大將, 勝負極ノ, 岩親吉ノ, 侍大將八, 康政ト平, 人ノ一, 慶長十一年五月十四日, 一一二

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  • ○中

頭注

  • ノ威勢
  • 本多榊原
  • 侍大將
  • 勝負極ノ
  • 岩親吉ノ
  • 侍大將八
  • 康政ト平
  • 人ノ一

  • 慶長十一年五月十四日

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  • 一一二

注記 (27)

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